2016年2月9日(火)

山行座数合計・・・842座(回)

今年の初めての山歩きは、鹿児島にした。
起きて、弁当は私の役目・・・。
「あさが来た」を見てしまい、予定より90分遅れの出発。

野尻を抜け、霧島を見上げると、やっぱり無駄のない形の「高千穂峰」は、素晴らしいとつくつぐ眺めた。
幸せって、感じる心を持つ事が出来る人の特権・・・いや特技!
何だって良い・・・あぁ幸せだ!と思える瞬間は、穏やかな人となる。

たどり着いた「三重嶽」の登山口には、整備していないので危険と表示されていた。
道のない山ばかりを歩く者にとって、とても整備されている様にしか思えない登山道である。
しばらくで「一重嶽」、すぐ「二重嶽」と標識があるが、今回ばかりはピークとカウントする気にもならず「三重嶽」山頂へと至る。
青空が、そりゃぁ~沁みる程青くて、ため息が出た。
正面に、噴煙のない「桜島」が鎮座し、眺めながらの弁当は、「超」がつくほど美味し!だ。

「赤崩」・・・登れそうな所から・・・と探すが、ゴルフコースやら、立ち入り禁止の電波塔の点検路や、林業作業道やらで、気持ちが削がれでしまう。

そして、「牟礼ヶ岡」は、大きな風力発電機が立ち並んでいた。
少しで、三角点にたどり着くと、本日2座目のピークハントが成立した。

イメージ 1

なんだか、そわそわと浮足立って過ぎた1月・・・。
一つ一つに理由と意義を感じなくては、気持ちが沈んで行く。
それは、辛い時より楽しく充実した時間に起因するから厄介だ!
「まぁ~いいんじゃねぇ!」
と、過ぎゆく時間を惜しむ事無く日々を送り、次だけを意識すればいいことなんだが、その「次」という意識が強すぎて、今や済んだ事に「疑問」を抱くのだ。

だから、時折「登山」は不可欠な行為であるのだ。
「山」を歩き、山頂を踏めば「文句なく気持ちイイ」「文句ない時間に身を置ける」。
煩雑・・・良かろう!
仕事・・・大いに良かろう!
辛さ・・・なんの、乗り越える挑戦に生きるを感じる!
だが、自然に身を置き、汗を流して歩く行為に匹敵する「すがすがしさ」は、他に無い。
理由なく受け入れられる「行為=登山」を、楽しめる受け入れる自分である事が有難い。

今の登山は、「ニューピーク」に心を奪われている。
国土地理院に、「山名」の表示があれば対象だ!
時に、公園になっていたり、電波塔が立ち並んでいたりもあろうが、それなりの充実感をもって山頂を探訪している。
宮崎全山341座が完了した今、日帰り登山の対象は、隣県「鹿児島」「熊本」「大分」がもっぱらだ。
小さい旅にも似た感覚を持ち、登山だけでない訪れた先の風情や名所にも気持ちを寄せ、美味いもんにも反応する。
そんな、ささやかなニューピーク探訪旅だ。

だが、山の数が積み重なると、ささやかなだけでない「大きな意味と意義」が宿り始める。
それは、客観的なものなので、当人・・・終わればすぐ次へと気持ちが向く傾向も強い。

「鹿児島」にしたのは、長女が住んでいるからで、夕食でも一緒に出来れば・・・との微かな気持ち。
結果的には、長女の住む吉野町で、海鮮料理屋で夕食を楽しめたのだが、前日送った私のメールには気づかれず、下山途中のママちゃんのLINEに反応があっての結果だった。
もう一緒に山歩きをする事は無くなったが、彼女は「家族登山隊」の中でも、ずいぶんたくましい精神を妹や弟に植え付けてくれた。
彼女抜きには、家族登山を語ることは出来ないのだが、成長とともに登山に抵抗を見せた彼女には、登山は苦痛だったに違いない。

その内、また家族6人で登って見たい願望は強い。

自宅8:30----霧島神宮----登山口11:47----一重嶽12:20----二重嶽12:28----三重嶽12:42----昼食----下山13:05----登山口13:40----移動----赤崩断念----移動----寺山公園線側入口14:42----牟礼ヶ岡15:06----登山口15:32----移動----寺山15:55----長女宅17:00----夕食----自宅22:00