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思い出してみると、お袋「節ちゃん」は、
「ここに来て、お膝に座りなさい!」
と、大学生になっても私に言っていた。
小遣いの事や、仕送りの事もあったが、そう言ってくれる母親もそういるものではない!と、私はいつも膝に中腰で腰を下ろした。
 
私は、悩みを母親には打ち明けた。
でも、大した解決策を諭されたわけではないが、豪快な方向付けに、いつも会話の終わりに
「あぁ、やっぱり話して良かった!」
との印象が残った。
 
節ちゃんは、私が歩き始めた頃から、あちこち私を行かせた。
まぁ、あちこちの知り合いの家に泊まりに行くのが平気な子だったのを覚えている。
宮崎交通のバスガイドさんが来ては、路線バスに私を連れて乗せたそうだ。
小学校の低学年では、すでに大阪まで私を一人旅に出した。
高学年になると、子供だけでもキャンプに行かせてくれた。
中学2年、自転車での「九州一周の一人旅」・・・なにの反対もなかった。
節目節目で行く旅行も、応援してくれた。
 
ただ、節ちゃんが反対した事が2度ある。

大学2年の頃、学校を止めたいと言い出した時・・・。
「折角、親の金で遊べるんだから、卒業ぐらいしてもいいんじゃない?」
と、言われ伸びた背筋が緩む感じがした。
それから、学業以外だがガムシャラの自分が形成され、今がある気がしている。

もう1回は、大阪の会社を辞め、宮崎に戻ると言った時・・・。
その理由は、うすうす判る気もしたが、私は聞き入れなかったし、節ちゃんも具体的に話してくれなかった。
 
 
私は、とにかく親と遊ぶのが好きでたまらなかった。
親しい友が少ない・・・いや、友と親しく付き合う時間より親と遊べる方が意義が大きかった。
まぁ、さほどべったりする時間も叶わなかったが、節ちゃんの豪快さと繊細さに包まれ、幸せだった。
 
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長女・次女・長男の事は、節ちゃんも知っている。
4人目の次男を抱く事が叶わなかったが・・・。
 
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そういえば、節ちゃんが息を引き取り、自宅に据えた棺があった夜・・・。
長女は、夢を見た。
「おい、なな(長女の名)!ちょっと代ってくれるか?パチンコに行って来るかい!」
棺のばあちゃんと交代した長女は、その後、節ちゃんが戻って来たのか?覚えていない。
とっても、長女は節ちゃんに似ていて、案外、そのまま節ちゃんは長女になって生きているのかも??
 
 
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親父「いさおちゃん」に至っては、死んで31年が過ぎた。
また、たくさんの感謝を綴ってみたいと思っている。