■猿越(さるごえ)790.9m/3等三角点
■九郎山(くろうやま)936.4m/3等三角点
■星の久保(ほしのくぼ)982.5m/○等三角点
■高隅山(たかくまやま)956.6m/2等三角点
■高隅山(たかくまやま)956.6m/2等三角点

諸塚村全10座が完了した。
山岳ドライブよろしく、大量の雨や雷を避けながらだが、順調なピークハントだった。
山岳ドライブよろしく、大量の雨や雷を避けながらだが、順調なピークハントだった。
諸塚村の塚原地区で、「伊藤義祐宿泊弾正跡」の石碑と出会う・・・。
島津藩に追われ、佐土原城を捨て、豊後:大友氏を頼っての一族の移動・・・いわゆる「豊後落ち」と呼ばれるその足跡は、西都~西米良を経て、中八重から、この諸塚「綾弾正宅」へと巡りついたと記されていた。
ふぅ~ん・・・ふむふむと、少し先へ進めば、杉の巨木の建つ「塚原神社」が建立されていた。
全国2千とも言われる「猿田彦大神」を祀る神社の一つみたいで、この山深い諸塚の地に、天孫降臨の関わりある神様が祀られていて当然の様な気がする。
林道とは言え、アスファルト舗装のされた道伝いに、「猿越~九郎山~星の久保」と巡る。
少しは歩くものの、困難だったと言えば、雑草に埋もれた猿越の三角点探し、藪斜面を経てたどり着いた九郎山の携帯電話電波塔、テレビ中継塔の建つ星の久保では、鉄塔基礎のコンクリート近くに埋没している三角点の堀出し確認作業・・・。
あまり、通常の登山行為とは違う動きで3座を完了させたが、まだ午前中という充実?ぶり・・・。
さぁ次・・・と、欲深い気持ちは動く。
あれこれ考えながら、来た道を少し戻ると「七ツ山」への標識に従い右折する。
ここで、「西南戦争」の跡を確認する事になった。
官軍駐留の里(七ツ山本村)の、案内板には、「東京鎮台第三連隊第三大隊・川崎少佐指揮下の兵25名・人夫数名」明治10年6月25日~8月12日延岡に移動するまで・・・と、この地での足跡が記されていた。
先週、門川で、薩軍が耳川の戦いに敗れ、門川・赤澤邸へと本陣を移したのが8月12日と確認したばかりで、今度は、追う官軍の執拗な隊配備を知る事になった。
下合鴫地区から林道を走る。走る。走ると、標高850mまで到達した。
諸塚の林道は、素晴らしい!
途中で弁当を食べ、土砂降りをやり過ごした。
ここまで来て登らない方が辛い?いや、山頂は近い事は良く判っているので、雨具を入れ出発した。
もう、したたる雨粒も気にならないほどの、べったりの笹藪だ・・・だが山頂は近い!
ひょいと、植林地に飛び出し明るくなった頃、標識のある2等三角点「高隅山」・・・本日の4座目を終えた。
自宅6:15----北方7:45----美郷(県道20)----宇納間(国道388)----諸塚村・塚原神社9:07----林道駐車位置9:33----猿越9:46----下山移動----猿越公園10:12----林道駐車位置10:31----九郎山10:49----下山移動----星の久保11:21----移動----七ツ山12:06----下合鴫----昼食----林道850m地点13:23----高隅山13:47----下山・駐車位置14:07----休憩----諸塚村----自宅18:00