10日
ワンゲル娘は、夏合宿へ向けてのボッカノルマ山行参加。
20kgの荷を背負い、雷山へ登った!
20kgの荷を背負い、雷山へ登った!
【20kgはキツかった!!!
自分以外は全部男性陣やったから、
ペースを合わせてもらって申し訳なかったけど、
何とかやりきりました。
自分以外は全部男性陣やったから、
ペースを合わせてもらって申し訳なかったけど、
何とかやりきりました。
30回ぐらい諦めかけたけど・・・】

山頂での「カエル」写真が添付されたメールが来た。
体を壊さねばいいのだが・・・と、親心は揺れるばかりだ。
11日
世話になったおじちゃんの、1周期・初盆にママと出向く。
道元に始まる曹洞宗は、「南無釈迦牟尼仏」を唱える。
ママの実家も、曹洞宗・・・などと話しながらご供養の会食の店へ移動した時、
大阪の親父さんの訃報を聞いた。
道元に始まる曹洞宗は、「南無釈迦牟尼仏」を唱える。
ママの実家も、曹洞宗・・・などと話しながらご供養の会食の店へ移動した時、
大阪の親父さんの訃報を聞いた。
2人の息子達は、日曜日で在宅。
バイトに行っている長女を呼び戻す。
福岡の次女は、大宰府駅で拾う事にした。
会食を終え、3時過ぎに自宅を車で出る。
バイトに行っている長女を呼び戻す。
福岡の次女は、大宰府駅で拾う事にした。
会食を終え、3時過ぎに自宅を車で出る。
12日
早朝?深夜?3時半に西成区の実家に着く。
ママの10歳下の弟が、起きて待っていた。
触れると、まだ頬の柔らかさか残る親父さんは、最近届いたばかりの介護ベットに横たわっ
ママの10歳下の弟が、起きて待っていた。
触れると、まだ頬の柔らかさか残る親父さんは、最近届いたばかりの介護ベットに横たわっ
ていた。
体調の事は聞いていたので、ほんの少しの覚悟はあったが、朝に自分で体調不良を訴え、病院まで連れて行ってもらった。
そのまま帰らぬ人となったが、「悔いはあるまい!」と思うことにした。
「明るく見送ってあげよう!」と思った。
昭和一桁の男が、子供らに大した世話もかけず、潔く逝った素晴らしい最期だと思った。
体調の事は聞いていたので、ほんの少しの覚悟はあったが、朝に自分で体調不良を訴え、病院まで連れて行ってもらった。
そのまま帰らぬ人となったが、「悔いはあるまい!」と思うことにした。
「明るく見送ってあげよう!」と思った。
昭和一桁の男が、子供らに大した世話もかけず、潔く逝った素晴らしい最期だと思った。
13日
お通夜
14日
葬儀

昭和5年6月7日に生まれた親父さんは、浪速中~関学高等部~関西学院大へと進み「ボクシング」の
青春を過ごした。
1947年第一回インターハイ「ライト級」で、優勝の記録がある。
残る記録によると昭和59?~62?年は、母校(大学)のボクシング部監督も努めた。
ディリースポーツから、神戸新聞へと歩いた。
1947年第一回インターハイ「ライト級」で、優勝の記録がある。
残る記録によると昭和59?~62?年は、母校(大学)のボクシング部監督も努めた。
ディリースポーツから、神戸新聞へと歩いた。

筋の通った、バンカラでお茶目な男の印象が強い!

75歳の誕生日、宮崎から流したFAXを、大切に保管していた。
この時、何の疑いも無く「オォー!」と大きな声で右手を上げるいつもの親父さんだったのに
この時、何の疑いも無く「オォー!」と大きな声で右手を上げるいつもの親父さんだったのに
・・・。
いつか、弟家族と両親を交えての旅行・・・をと楽しみにしていた。
その時ではなく、弟の愛車と私の車が並んだ。
その時ではなく、弟の愛車と私の車が並んだ。
