13日朝、5時に起きて高速に乗りました。
電光掲示板に、「高原--えびの間、通行止め」の表示・・・。
山之口PAにて、解除になるのを待たなくては・・・と、車内待機を決め込みました。
それから、遊也(Ogata)さんから、心配して電話をもらいました。
熊本で同乗を予定していたじんさんから、全面通行止めの連絡を受けました。
それでも、私は、なんとかして小倉に行かなくては・・・と、そればかりを考えていました。
前日、YUTAちゃんから自宅に前泊のお誘いを受け、なんで断ったのだろう・・・と悔やみました。
車内待機していた私のところに、高速の係員がやってきて、「ここも通行止めになるから、早く都城ICから降りてください。」と促されてしまいました。
降りしきる雪の中、どうあがいてももう小倉には間に合わない事を理解し、トボトボと帰宅しました。
涙があふれ、お別れも出来ない情けなさと、無念の気持ちに押しつぶされそうでした。
帰宅した私の元に、それを知ってか知らずか、Takaさんから携帯にメールが届きました。
12時30分前、今度はYUTAちゃんから、「今から出棺です。」と電話が入りました。
なんとか、その電話を通じお祈りさせていただきました。
それしか出来なかった自分が情けなく、未だ山旅人さんの死は受け入れる事が出来ません。

私は、山旅人さんとの接点は「やまびこ会」でしたが、彼のネットでの影響力を案じ苦情を申し立てた所からでした。
真摯に受け止めていただき、正面から接していただきました。
本当に温かく、懐の深い方で、人としてとても尊敬できる人でした。
家族全員を北九州でもてなしていただき、子供達もはっきりとした記憶で山旅人さんが存在しています。
私は、子育てが一段落したら、比叡の岩を、私のリードで登らせていただこう!と決めていました。
その時、私が60歳で、山旅人さんが70歳だと予定していました。
人は、何十年付き合っても判らない関係もあるのに、山旅人さんは会った時から私の中にスーッと受け入れる事が出来ました。
それは、きっと人に対しいつも偽り無しに向き合う山旅人さんであるからだと思っています。

ネットでありながら、人同士として血の通う付き合いが有り得ると教えてくれたのも山旅人さんでした。
これからは、山に登る時、必ずせめて気持ちは一緒だ!と、信じ歩きたいと思います。