中高一緒だった同級生が、9日15時頃息を引き取った。
いつも、同窓会の幹事の1人として、良く会った男である。
私が外出から会社に戻ると机の上に、名刺や、高岡名物「長饅頭」が時々置いてあった。
『あいつ、来たんだ!』
去年、入院先の鹿児島大学付属病院へ、ママとお見舞いに行った。
http://blogs.yahoo.co.jp/tsurukeito/49488409.html
あの後、何度も電話で話した。
退院後、去川~和石を歩いた後立ち寄った「高岡温泉」で偶然会ったりした。
http://www12.big.or.jp/~tsurukei/hotnews3/247sarukawa-yoreshi/247.html
「俺、もう少し体力つけたら霧島あたりを歩こうと考えちょっちゃが!登山を趣味にすっかいよ!!」
と、いつもの様に、目をギョロギョロさせて、いつもの様に、肩を上下に揺すりながら顔を左右に振りながら話した!
あれから、宮崎市内の同級生の医者が勤務する病院に再入院したと聞き、ママと駆けつけた。
「どんげ思う?この窓際のベッドから、林の中の墓がまっぽす(まともに)見えるっちゃが!」
と、いつものジョークで笑わせた。
そして、先週の土曜日。
今は京都で開業している同級生のU木のお父さんの葬儀が、実家のある都城で行われた。
待ち合わせた母校の駐車場に、茂吉は来た。
「もう、昨日退院したっちゃが!病院におってん(居ても)何もするこつねぇし!」
そして、立ち寄ったガソリンスタンドで、私達に缶コーヒーを奢ってくれた。
通夜の席に座る茂吉は、実に辛そうにしていた。
いつもの様に、言いたい放題話せない状況が、その時の茂吉にはあった。
「あいつ、顔色が悪かったよなぁ~!大丈夫やろか!しかし、本当に良く来たよなぁ~!」
先に茂吉を送り、残った4人で、同級生のY野くんの店で飲んだ。
その、Y野くんからの電話が鳴ったのは9日の5時。
「茂吉、茂吉がさっき死んだ!茂吉の携帯に電話かけたら、奥さんが出て、3時ごろ息を引き取ったって言ったっつよ!まだ、何も決まっちょらんかい、判ったらまた電話するわ!」
しばし、何が起こったかを自覚するまで時間がかかった。
Y田や、やすよしや、N田に電話した。
同級生の声が無性に聞きたくて、ただ電話した。
帰宅し、ママに茂吉の事を告げる。
もう会えない・・・もう話せない・・・事が、こんなに悲しい事なのかと絶えられない寂しさに包まれてしまった。
待ってられなくて、茂吉の自宅に電話を入れる。
茂吉のお母様が電話に出られた。
通夜・告別式の場所と時間を聞いた。
「本当に辛くてたまりません。」
そう言えたのが精一杯だった。
我が子を失う親の気持ちを、私が理解できるほど軽々しいものではないと判っていた。
そして、Y野くんに電話をした。
あきひこ、よしふみ、Y田、K井田に電話する。
N田は、携帯を取れない状況らしく、自宅に内容を伝言した。
そう、京都のU木に電話をして
「お前のお父さんが、茂吉に合わせてくれたんだよな!あれが最期になった!」
と話した。
東京のH本に電話をして、東京組にも知らせて欲しいと頼んだ。
N田から電話が入る。
「あのバカ!死にやがった!・・・あれが最期になったな!・・・辛くてたまらんな!」
明日の通夜の時間を告げた。
宮崎に残っている同級生は、いつも茂吉が一番あちこち顔を出してくれた事を知っている。
通夜の夜。
たくさんの人が斎場に集まっていた。
同級生という立場で集まった私達は、会いたいのは茂吉である。
棺に収まった茂吉は、格好悪かった。
実に格好悪かった・・・。
いつも、おどけ、丸坊主ハゲ頭を私に勧めた、いいヤツである。
夢を語る男である。
最悪の顔で、茂吉は棺に寝ていた。
「お前、格好悪いよ!」
同級生の私達は、持て余す様に斎場を後にした。
弔うってどういうことか、正直判らなかった。
悲しむって、どうしたらいいのか判らなかった。
とめどない涙が溢れ始めたのは、皆と別れて1人で運転し始めた頃・・・。
『茂吉!お前、やっぱ格好悪いよ!』
もう、飲めないし、あいつが参加表明している15日の同窓会に、もうあいつの顔は見られない。
通夜の始まる前、N田がポツリ言った。
「俺達、とうとう最期まで茂吉って呼んでたよな!」
茂吉は、隆志が本名だが、茂吉と呼べる私達こそが同級生でもある。
『茂吉!これからも、皆、茂吉としか言わないけどいいよな!!』
いつも、同窓会の幹事の1人として、良く会った男である。
私が外出から会社に戻ると机の上に、名刺や、高岡名物「長饅頭」が時々置いてあった。
『あいつ、来たんだ!』
去年、入院先の鹿児島大学付属病院へ、ママとお見舞いに行った。
http://blogs.yahoo.co.jp/tsurukeito/49488409.html
あの後、何度も電話で話した。
退院後、去川~和石を歩いた後立ち寄った「高岡温泉」で偶然会ったりした。
http://www12.big.or.jp/~tsurukei/hotnews3/247sarukawa-yoreshi/247.html
「俺、もう少し体力つけたら霧島あたりを歩こうと考えちょっちゃが!登山を趣味にすっかいよ!!」
と、いつもの様に、目をギョロギョロさせて、いつもの様に、肩を上下に揺すりながら顔を左右に振りながら話した!
あれから、宮崎市内の同級生の医者が勤務する病院に再入院したと聞き、ママと駆けつけた。
「どんげ思う?この窓際のベッドから、林の中の墓がまっぽす(まともに)見えるっちゃが!」
と、いつものジョークで笑わせた。
そして、先週の土曜日。
今は京都で開業している同級生のU木のお父さんの葬儀が、実家のある都城で行われた。
待ち合わせた母校の駐車場に、茂吉は来た。
「もう、昨日退院したっちゃが!病院におってん(居ても)何もするこつねぇし!」
そして、立ち寄ったガソリンスタンドで、私達に缶コーヒーを奢ってくれた。
通夜の席に座る茂吉は、実に辛そうにしていた。
いつもの様に、言いたい放題話せない状況が、その時の茂吉にはあった。
「あいつ、顔色が悪かったよなぁ~!大丈夫やろか!しかし、本当に良く来たよなぁ~!」
先に茂吉を送り、残った4人で、同級生のY野くんの店で飲んだ。
その、Y野くんからの電話が鳴ったのは9日の5時。
「茂吉、茂吉がさっき死んだ!茂吉の携帯に電話かけたら、奥さんが出て、3時ごろ息を引き取ったって言ったっつよ!まだ、何も決まっちょらんかい、判ったらまた電話するわ!」
しばし、何が起こったかを自覚するまで時間がかかった。
Y田や、やすよしや、N田に電話した。
同級生の声が無性に聞きたくて、ただ電話した。
帰宅し、ママに茂吉の事を告げる。
もう会えない・・・もう話せない・・・事が、こんなに悲しい事なのかと絶えられない寂しさに包まれてしまった。
待ってられなくて、茂吉の自宅に電話を入れる。
茂吉のお母様が電話に出られた。
通夜・告別式の場所と時間を聞いた。
「本当に辛くてたまりません。」
そう言えたのが精一杯だった。
我が子を失う親の気持ちを、私が理解できるほど軽々しいものではないと判っていた。
そして、Y野くんに電話をした。
あきひこ、よしふみ、Y田、K井田に電話する。
N田は、携帯を取れない状況らしく、自宅に内容を伝言した。
そう、京都のU木に電話をして
「お前のお父さんが、茂吉に合わせてくれたんだよな!あれが最期になった!」
と話した。
東京のH本に電話をして、東京組にも知らせて欲しいと頼んだ。
N田から電話が入る。
「あのバカ!死にやがった!・・・あれが最期になったな!・・・辛くてたまらんな!」
明日の通夜の時間を告げた。
宮崎に残っている同級生は、いつも茂吉が一番あちこち顔を出してくれた事を知っている。
通夜の夜。
たくさんの人が斎場に集まっていた。
同級生という立場で集まった私達は、会いたいのは茂吉である。
棺に収まった茂吉は、格好悪かった。
実に格好悪かった・・・。
いつも、おどけ、丸坊主ハゲ頭を私に勧めた、いいヤツである。
夢を語る男である。
最悪の顔で、茂吉は棺に寝ていた。
「お前、格好悪いよ!」
同級生の私達は、持て余す様に斎場を後にした。
弔うってどういうことか、正直判らなかった。
悲しむって、どうしたらいいのか判らなかった。
とめどない涙が溢れ始めたのは、皆と別れて1人で運転し始めた頃・・・。
『茂吉!お前、やっぱ格好悪いよ!』
もう、飲めないし、あいつが参加表明している15日の同窓会に、もうあいつの顔は見られない。
通夜の始まる前、N田がポツリ言った。
「俺達、とうとう最期まで茂吉って呼んでたよな!」
茂吉は、隆志が本名だが、茂吉と呼べる私達こそが同級生でもある。
『茂吉!これからも、皆、茂吉としか言わないけどいいよな!!』