「合格」=「喜び」=「夢」=「実現」
「不合格」=「悲しみ」=「反省」=「失望」
そんな式が成り立つのだろうか?
少なくとも、私も「受験」という段階を経てきた。
そして、何が今の自分に良かったのだろう・・・。
多分、その時その時を充分に存分に頑張っていないから、大した後悔も無い気がする。
いや、ずっと【逃げ】てばかり来たのかも知れない。
この年になってみると、「受験生」→「大学生」→「社会人」と「→」の式しか見当たらないが、
「所得の高さ」=「充実」=「幸せ」とは感じない人間になって来た。
これもまた【逃げ】の発想なのかも知れない。

本当に勉強もせず、親に苦労させ、入れる大学に行った。
止めようと考えた大学を、なんとなく卒業して、大卒を社会が求める経済背景に乗っかり大手流通業に就職した。
なんとなく昇格し、結婚して子供が生まれたのを機に、地元に戻った。
そして、食べる為に、今ある仕事にすがり今日までやってきた。
私の「受験」は、何のため?
判らない。
でも、私は記憶ある幼稚園の頃から、小学生・中学生・高校生・大学生と、何かしら充実した経験だけはしてきている。
それが私の根底にあり、今がある。
ますます充実してきている。
それは、受験という枠ではなく、その時その時にたくさんの好奇心と体験を繰り返してきたからだと思う。
振り返ってみると、やはり大学は行って遊んで良かった!という記憶が強い。
だから、子供達に「大学に行ったら!」と言うのだと思う。
眉を吊り上げ、精神的に追い込まれ、人生の到達点を受験に持っていく必要はあるまい!
気楽に生きたっていいじゃないか!
金や地位や、そんなものが「勝ち負け」でもなんでもなく、「幸せ」を感じることの出来る豊かな感性を育てて欲しい。
この歳になって思うのは、ほんの近くを見渡して少しでも優越感に浸ろうとする人の多さ・・・である。
巻き込まれぬ様・・・、自分の足が地に付いていることを時々見ることだ!
まぁ、高学歴・高所得の人でも200年も生きられないんだから、気負う必要もあるまい!

「そんな事言ってたら、大変になるのは子供達自身なんですよ!」
と、金切り声が聞こえてきそう・・・。