卒業校が、今年で創立60周年を迎えた。
同窓会が設立され、50周年を迎えたそうだ。
また、私が在校していた頃の校長である「マッサ神父様」が、叙階50周年を迎えられた。
縦の繋がりの薄さを気にされていた方の、援助と強い意思で「記念式典」が14日に催された。
会場には、1千人を越すOBや先生、保護者等の関係者が出席した。
私は、53年度卒業のOBとして、行きたいママは3人の子供を在校させる保護者として出席した。
各テーブルは、卒業年度毎に設置されていた。
行けば、いつもの仲のいい連中の顔があった。
実は、私は中学3年生の1学期が始まった頃、脊髄損傷で入院した。
その入院は、6ヶ月に及び、自宅療養も強いられ『留年』した。
つまり、中学3年生を2回過ごしている事になる。
それは、何を意味するのか、この式典でよく理解できた。
隣のテーブルは、留年前の懐かしい顔ぶれが並んでいた。
嬉しくて声をかけた私を、殆どのかつての同級生が覚えてくれていた。
「縦のつながり・・・」ではないが、私には2重の横の繋がりもある。
いい式典は、時間が過ぎるのも早かった。
同窓会が設立され、50周年を迎えたそうだ。
また、私が在校していた頃の校長である「マッサ神父様」が、叙階50周年を迎えられた。
縦の繋がりの薄さを気にされていた方の、援助と強い意思で「記念式典」が14日に催された。
会場には、1千人を越すOBや先生、保護者等の関係者が出席した。
私は、53年度卒業のOBとして、行きたいママは3人の子供を在校させる保護者として出席した。
各テーブルは、卒業年度毎に設置されていた。
行けば、いつもの仲のいい連中の顔があった。
実は、私は中学3年生の1学期が始まった頃、脊髄損傷で入院した。
その入院は、6ヶ月に及び、自宅療養も強いられ『留年』した。
つまり、中学3年生を2回過ごしている事になる。
それは、何を意味するのか、この式典でよく理解できた。
隣のテーブルは、留年前の懐かしい顔ぶれが並んでいた。
嬉しくて声をかけた私を、殆どのかつての同級生が覚えてくれていた。
「縦のつながり・・・」ではないが、私には2重の横の繋がりもある。
いい式典は、時間が過ぎるのも早かった。