文章を書くのは嫌いではないが、今回ばかりは頼まれて嬉しくお引き受けした。
私は、カトリック幼稚園を卒園し、地元の小学校を出ると、ミッションスクールである宮崎市内の中高一貫教育の私立校へと通った。長女・次女、そして長男と、まったく私と同じ学校へ通っている。
そう・・・。私は生まれ、幼稚園、小学校、中学、高校・・・と通い、他府県の大学へ進学した。大阪へ就職し、ママと結婚した。それを、西都教会のピッチ神父様は、ずっと見守ってくれた。当然、結婚式もこの教会で挙げさせてもらい、父母もこの教会から見送った。そして、ピッチ神父様も、この教会から見送った。


西都カトリック教会「50周年」

 6月24日で「50周年」を迎え、翌25日(日)に「記念ミサ・祝賀会」がありました。当日、参加された方も、参加できなかった方も、それぞれにたくさんの思いがあったとお察しします。
 今回、50周年の準備委員会を手伝わせていただきましたが、創立に関わられた方たちや、当時を覚えていらっしゃる方たちがだんだん少なくなっている事を感じました。半世紀という長い時の流れなのでしょうね・・・。また、「これまで」の流れを経ての「今」であり、「これから」なのだと、深い感謝の気持ちを持つ事が出来ました。50年という「これまで」の中で、ピッチ神父様の「情熱」と「愛」は、この西都教会を作った事・・・、それにご尽力いただいたT先生や、A先生や、当時の協力者の存在を忘れてはいけないと思いました。そして、そのゆるぎない礎の上に、私達は「これから」を担わなくてはならないと感じました。
 宮原司教様を迎えての記念ミサは、本当に心静かに迎えることが出来ました。50周年・・・、50年分の有難いお恵みが私達の上に注がれた気がしました。
 また、手作りの「祝賀会」は、本当に心温まる一時でした。お祝いの歌声が会場を包み、懐かしい話に花が咲きました。こんな素敵な時間を、沢山の皆さんと過ごすことが出来たのは、本当に心が安らぎました。また、献身的に準備をしていただきました婦人部の皆様には、心から感謝したいと思います。
 前夜・早朝が雷雨だったにも関わらず、当日、雲が割れ青空が広がりました。見上げた青空の中から、にっこり笑ったピッチ神父様が、「○○○○(水流渓人の名前)くん!ちゃんと教会に来ないとイケマセンネ!」と、あの頃のように言った気がしました。


溢れんばかりの思い出を、限られた文字数に納める事はとても難しかった。そして、私信でなく準備委員としての報告・感想でもある。書きながら、どうしても省けない思い出を記し、綴じた。
あの日、福岡から駆けつけてくれた、私が幼稚園生だった頃のN先生へも送付したみたいで、「原稿を読んで涙がでました。」との言葉が届いた。