【3月1日記】
たかが岩登り されど岩登り
私の目標とするスタイルの岩登りは、まさに宮崎の登攀を支えてこられた三沢澄男さんを中心とする「鹿川・庵」の方々の開拓されたルートを登る事である。その三沢さんの執筆される「たかが岩登り されど岩登り(題)」が、宮崎日日新聞に連載されている。幼少時から始まり、今は就職後にふとした事から山と関わり山岳会に所属し、深く山へとのめりこみ始めた昭和34年頃の事である。毎回、読むたびにその掲載文章の少なさにガッカリさせられる。言い換えれば、次の展開が気になり、重ねて味のある上手い筆に、もっと読みたい気持を抑えなくてはいけないからだ。昭和34年は私の生まれた頃の話・・・。かつて私の初登山も三沢さんと同じ「双石山」・・・。
そんな三沢澄男さんに、私は去年の12月、比叡に山の会で借りている家で初めてお会いした。会の代表のつながりで、山岳会の忘年会にご列席いただいた時である。私は正座で無いと話せない風格である。私は岩を登る時、だだ岩壁を登っているのでなく、そこを開拓された方達と対話しながら登っているつもりである。そんな気持が強い。そういう気持を抱き続けている私に、三沢さんは強いインパクトがあった。正確にはお会いしたことに感激しウワずっていたのだと思う。自己紹介をさせていただくと、ワインを口に運びながら「君は何歳だね?」と聞かれた。「45歳です。」と答えると、「ボクは65歳だ。君はまだ子供だな!」と、笑い飛ばしていただいた。でも、私はその三沢さんの言葉は嬉しく深いものとして今でも胸にある。そう、65歳で現役のクライマーでいらっしゃる。それこそが多くのクライマー達の強い憧れであり、『されど岩登り』であるのだと思う。そして、会話の中で私のもやもやとした岩登りに対する講釈めいた言い訳めいたものを、ガツンとしかもさらりと言っていただいた。「岩を登るのに、グレードがどうのこうの・・・、登り方がどうのこうの・・・言わんでいい!岩を登りたくて来ているんだから岩を登ればいい。それだけでいい。」と、正に『たかが岩登り』なんだと仰っていただいた。45年の三沢さんの登攀人生を背負ういい言葉だと思った。だから難しく魅力的なのだが・・・と、少し気付いてきている。
水流渓人のページ「クライミング報告」
http://www.geocities.jp/tsurukeito/iwa/index.html
たかが岩登り されど岩登り
私の目標とするスタイルの岩登りは、まさに宮崎の登攀を支えてこられた三沢澄男さんを中心とする「鹿川・庵」の方々の開拓されたルートを登る事である。その三沢さんの執筆される「たかが岩登り されど岩登り(題)」が、宮崎日日新聞に連載されている。幼少時から始まり、今は就職後にふとした事から山と関わり山岳会に所属し、深く山へとのめりこみ始めた昭和34年頃の事である。毎回、読むたびにその掲載文章の少なさにガッカリさせられる。言い換えれば、次の展開が気になり、重ねて味のある上手い筆に、もっと読みたい気持を抑えなくてはいけないからだ。昭和34年は私の生まれた頃の話・・・。かつて私の初登山も三沢さんと同じ「双石山」・・・。
そんな三沢澄男さんに、私は去年の12月、比叡に山の会で借りている家で初めてお会いした。会の代表のつながりで、山岳会の忘年会にご列席いただいた時である。私は正座で無いと話せない風格である。私は岩を登る時、だだ岩壁を登っているのでなく、そこを開拓された方達と対話しながら登っているつもりである。そんな気持が強い。そういう気持を抱き続けている私に、三沢さんは強いインパクトがあった。正確にはお会いしたことに感激しウワずっていたのだと思う。自己紹介をさせていただくと、ワインを口に運びながら「君は何歳だね?」と聞かれた。「45歳です。」と答えると、「ボクは65歳だ。君はまだ子供だな!」と、笑い飛ばしていただいた。でも、私はその三沢さんの言葉は嬉しく深いものとして今でも胸にある。そう、65歳で現役のクライマーでいらっしゃる。それこそが多くのクライマー達の強い憧れであり、『されど岩登り』であるのだと思う。そして、会話の中で私のもやもやとした岩登りに対する講釈めいた言い訳めいたものを、ガツンとしかもさらりと言っていただいた。「岩を登るのに、グレードがどうのこうの・・・、登り方がどうのこうの・・・言わんでいい!岩を登りたくて来ているんだから岩を登ればいい。それだけでいい。」と、正に『たかが岩登り』なんだと仰っていただいた。45年の三沢さんの登攀人生を背負ういい言葉だと思った。だから難しく魅力的なのだが・・・と、少し気付いてきている。
水流渓人のページ「クライミング報告」
http://www.geocities.jp/tsurukeito/iwa/index.html