たまたま、そう生まれただけ。

とてもしっくりくる言葉だった。

自分は幸せな人間だ。
これは間違いない。
誰と比べる訳でもなく、ただひたすらに
恵まれている環境に生きる
ただの幸せな人間だ。

沢山の人がいる。
様々な運命の人が様々にいる。
人生とはその人の数だけある。

過酷で残酷な運命の人も沢山いる。

その人達に同情するべきなのか。
その人達を特別視するべきなのか。
自分はその人達より恵まれていると
人生を比べ、差異に生きがいを感じ
未来への糧とするべきなのか。

冷たい表現かもしれないが、
自分はこう思う。

「たまたま、そういう運命だった」

誰にでも起こりえたそれが
たまたま自分であり、
たまたまその人だったんだ。

自分も特別なんかじゃない。
その人だって特別なんかじゃない。
神様は誰でも良かった。
たまたま、その人にその運命を持たせただけだ
理由なんかない。

そんなたまたまの現象の理由を考えて
何の意味があるのか。
人と比べて何の意味があるのか。

そもそも自分は自分の人生の事で手一杯で、
他人の人生なんか考えてる余裕はない。

ただ、思うのは
どんな人の運命も人生も
たまたま自分じゃなくその人だっただけと
思うようにする。
その人のそれが、
たまたま自分だったかもしれない
そういうものだと思うようにする。

結局、皆違っていて、皆一緒なんだと思う。

人生や運命の形は全ての生命体にとって
不平等に与えられたものだ。
どうしたって変えられない現実がある。

ただ、生から死。
この道は全てのもに与えられた平等だ。

不平等に与えられたこの理不尽を
平等な時間でどう過ごすかが全てだと思う。

俺は、生きるなら楽しみたい。
楽しみがないならさっさと死にたい。
こんなクソ面倒くさい生、さっさと逃げたい。

でも生きるなら、自分のやりたいようにやる。
他人は知らん。
俺の人生の道は俺が歩く。
他人の歩き方なんぞ知らん。

俺の歩き方で歩く。