さて本日のGORO活は11月22日にFMおだわらで放送された、

午前0時の歌謡祭に編曲家の船山基紀先生がゲスト回の後編その②。

作曲家、筒美京平先生のエピソードを中心に、

船山先生が編曲してきた曲の裏話が聞ける貴重なインタビュー。

今回は五郎さんのロサンゼルス海外録音のお話しからです。

 

BGMには12月に発売予定の「船山基紀のサウンドストーリー」に

収録されている、五郎さんの「女になって出直せよ」のB面曲である、

「シスコ・ドリーム」が流れた。

この曲ももちろん船山先生の編曲で、作詞は阿久悠先生、作曲は筒美京平先生。

1979年に発売されたアルバム「ラスト・ジョーク」は、

ロサンゼルスのウォーリー・ハイダーススタジオでレコーディングされた。

京平先生とともに船山先生も参加。

上記の2曲の他に、アルバム表題作の「ラスト・ジョーク」をはじめ、

「漂いながら揺れながら」などアルバム収録曲10曲のうち5曲をアレンジしている。

「GOROちゃんの海外録音はエーッていうキャスティング。

 たとえばラリー・カールトンが間奏のギターだけを弾くとか」びっくり

「……超、贅沢ですねアセアセ

とMCの濱口さんも絶句。

そりゃそうだタラー

「ちょっと考えられないぐらい素晴らしくて」

40年経った今聴いても、色あせず古びていない。

「何よりもGOROちゃんがやりたい音楽がこれなんだろうという気がした。

 たぶんミュージシャンの人選もGOROちゃんが自分で一緒にやりたい人を選んだと思う」

あの豪勢な凄腕ミュージシャンたちはすべて五郎さんのオーダー。

「とにかく素晴らしかった」

と大絶賛。船山先生にとっても楽しい思い出なんだろうなあ。

この時、京平先生はお一人だけ滞在先がちがっていて、

別次元の豪華なホテルに泊まっていた。

スタジオミュージシャンに英語で曲の細かい部分を伝えきれず、

足りない部分を京平先生に頼んで、実際にピアノで演奏してもらったそうだ。

残念ながら、船山先生はどの曲か覚えていないそうだが、

京平先生がスタジオでピアノ演奏をした唯一の曲なんだとか。

 

京平先生からの編曲の依頼は、

デモテープと手書きの譜面がくる。

通常のデモテープはコンピュータのコンサイスという機能で、

音をキレイに仕上げるが、京平先生はこれが大嫌い。

必ず自分でピアノを弾き、その弾き方で楽曲のハートを伝えていた。

最後までそのやり方は変わらず、

「その方が伝わってくるんだよね」

 

稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」

この曲の作詞はコンペ形式で、

湯川れい子さんと秋元康さんで競い、最終的に秋元さんの歌詞が採用された。

編曲も最初は別のアレンジだったが、レコード会社の方がピンとこなくて、

船山先生に依頼がいった。

車のライトを音で表現したアレンジが評価が高く、

AORの傑作と言われているが、当時はAORを意識していなかった。

デモテープで大体のリズムの方向は示されていたが、

京平先生から細かい指示は一切なかった。

船山先生はAORを意識していなかったが、

京平先生ご自身は世の中の流れをふまえて、

楽曲を作っていたのかもしれない。

 

中山美穂さんの「ツイてるねノッてるね」

松田聖子さんの楽曲の多く手掛けた、大村雅朗先生との共作。

大村先生のアイデアを発展させた、アイドル曲。

確か資生堂の化粧品のCMソングだった。

私が高校生の頃に流行っていたから、たまにカラオケで歌うかなあ。

 

柏原芳恵さんの「ト・レ・モ・ロ」は船山先生にとって、

大きな転機となった曲。

船山先生は1981年から2年間、ロサンゼルスを活動拠点にし、

そこで出会った、「フェアライト」という、

当時、最新式のコンピュータの打ち込みができる機械を帰国後に導入した。

この機会さえあれば自宅スタジオで自分の思うとおりのサウンドができると思い込んだ。

ある日、京平先生が新しいことを始めたことをきいて、

「柏原芳恵さんをやってみないかと誘われた」

最初はフェアライトだけで音を作ろうと四苦八苦していたが、

結局、楽器が足りないことに気づき、

手弾きとバランスを取りながら、制作するようになった。

この時の手法が今に繋がっているので、船山先生にとっては大きな記念碑的な作品。

 

三井比佐子さんの「月曜日はシックシック」

この曲はコーラスを沖縄県出身の三人姉妹のコーラスグループ「EVE」が担当している。

英語の発音がとてもキレイで京平先生の信頼がとても厚く、

絶対に「EVE」を使えと言われたそうだ。

「EVE」と名付けたのは実は五郎さんで、

その前は「アップルズ」という名前で、五郎さんのコンサートのバックコーラスもやっていた。

 

最後はTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN」

JR東海のキャンペーンソングとして制作された楽曲で、

船山先生が京平先生と話しながら、

スタジオで録音した最後の作品になった。

この時は作詞のなかにし礼先生もスタジオにいらして、

往年の華やかだったレコーディングを思わせるような感じで、

感慨深いとおっしゃった。

TOKIOのバンドとしての良く出た作品で、

京平先生が2000年代にも

オリコンチャートのトップを取ったという意味でも大きな作品。

新幹線でこの曲を聴くと、東京に帰ってきたなあと感じる名曲。

 

京平先生の作品の裏話だけではなく、

五郎さんの海外録音の様子まで聞けてしまう貴重な1時間。

70年代後半から2000年代まで幅広い時代の楽曲制作の裏側を聞けて

とても楽しかった。

編曲ってすごい仕事だなあ。

五郎さんの曲を編曲家別に聴いてみるのも楽しいかもなあ。

長いレポートにお付き合いありがとうございました。

 

来る12月16日発売の船山先生の作品集。

こちらは1年前に発売された著書

五郎さんの歌う筒美京平先生の楽曲集