今日は梅雨の晴れ間。

柔らかい日差しにせっかくだから、キルトケットをお洗濯。

お昼に新しいソフトを使って、担当ミーティングがあったが、

ネットワーク化の加速にいろいろついて行けてない気がするタラー

 

さて本日のGORO活は昨夜、FMおだわらで放送された、

「午前0時の歌謡祭」のレポートの続き。

昨日も書いたが、選曲もお話しもかゆいところに手が届く内容でした。

 

レンタルライブのお話しが出たところで、

ここで昔の曲を振り返ってみようということで、

リクエスト曲は「オレンジの雨」、「哀しみが終るとき」

話題は両曲の作曲を担当された、筒美京平先生について。

京平先生との出会いは2曲目の「青いリンゴ」

演歌からポップスの転身で、五郎さんにしてみれば、

元の自分に戻るだけと思っていたら、

デビュー曲で博多にキャンペーンに行っている内に、

不本意ながら、すっかり演歌歌手になっていたらしく、

レッスンをしてくれた、作詞家の橋本淳先生に、

「8ビートのウラのノリが悪い」と、だいぶ怒られたそうだ。

京平先生は当時から16ビートでピアノを弾いているような方で、

作曲は天才そのもの。

例えば哀しみが終るとき」にはワルツの要素が入っているが、

当時のバンドではなかなか演奏ができなかったそうだ。

 

次のリクエスト曲は「傷心スピードウェイ」

NY録音アルバム「異邦人」から、五郎さんが作曲した曲。

このアルバムは京平先生がプロディースもしているが、

相当、大変なお仕事だったようで、

帰国してからもしばらく他の仕事ができないぐらい注力していたらしい。

このアルバム、オシャレで素敵な曲ばかりでイイよね。

そして天才、筒美京平先生がご自分の作曲した曲以外で、

編曲をされるのは、五郎さんとお兄様だけ。

すごいなあ。

 

さだまさしさんの名曲を五郎さんがカバーし、

77年六大都市コンサートで披露した「最終案内」をBGMに、

ライブアルバム制作秘話について。

タワレコ限定盤を見れば一目瞭然だが、

五郎さんは他の歌手に比べても、圧倒的にライブアルバムのリリースが多い。

また当時としては画期的なことに、

カセットテープでのリリース(時には限定で)もしていた。

それは決して五郎さんのワガママではなく、将来の音楽を聴くスタイルとして、

ステレオから持ち運べる媒体で聴くのが当たり前の時代になるという、

五郎さんなりの考えがあった。

たぶん、やることが、30年早いんだよね。。。

まだウォークマンが出ていない頃からだもの。

 

次のリクエスト曲はそのライブアルバムより、

「歌がある限り」と「愛のラルゴ」

ライブアルバム「ひとりぼっちの栄光」での、

涙ながらの「歌がある限り」は最高だった。

明治チョコレートのCM曲としても有名。

どちらも東海林修先生の作曲。

「東海林修先生も五郎さんにとっては大きな存在ですね」

「はい、大切な方です」……思わずウルッときたえーん

東海林先生は五郎さんのコンサートのプロデュースと、

多くの名曲を残して下さった、偉大な先生。

今でもコンサートで歌われる名曲がたくさんある。

 

最後の曲は「これが愛と言えるように」ストリングスバージョン。

ここで絶妙な質問が。

光の道やレンタルライブでのお嬢様との共演の感想について、

五郎さんはだいぶ照れて、ちょぴり涙ぐみながら答えて下さった。

「あんなふうにひとりで弾けるとは思っていなかった。嬉しかったですね」

と子供の成長を喜ぶパパが垣間見える。

「僕が散々、聴いてきた音楽が(そこに)あって、

 あれ?DNAなのかなと不思議に思いました」

 

ワンコーラスのみに限っているとはいえ、1時間で11曲も、

リクエスト曲をかけて下さるとは嬉しい限り。

リスナーからの質問にも丁寧に答えて下さる。

次週はその後半戦。

どんなお話しがきけるのか、楽しみだ。

私はそれまでに録音方法の研究だなニヤリ

 

ピアノ演奏は五郎さんのお嬢さま。

親子の絆の50周年記念シングル

「愛のラルゴ」「歌がある限り」も収録。

みんなゴローズのレンタルライブは7月31日までの期間限定

新録の13曲のCDに豊富なコンテンツの詰まった、

50周年記念メモリアルアルバムは好評発売中