こんなことを書いたら、

「お前は頭が沸いてるんじゃないか真顔」とか

「偉そうに何を言ってんだ真顔」とか

言われるかもしれないけれど、

 

5Bだから、気にしない。

 

うーむ、 5Bってすごい概念だ。

私のような人間にはめちゃくちゃ良い。

 

 

 

さてさて。

 

私に限らず、

印綬の人の言葉というのは、

御神託なんじゃないかと

思うことがしばしばある。

 

 

それは、

子宮推命創始者の假屋舞さん然り、

同じ子宮推命鑑定士のekko然り。

 

最近、ある人とメールのやり取りをしていて、

私自身は、とてもキツイ言葉を投げつけたと感じていた。

 

 

だから、

 

もっと優しく言えたんじゃないか

とか、

 

もっと違う言い方があったんじゃないか

とか、

 

ああ思われたらどうしよう

こう思われんじゃないか

とか、

 

心配でいっぱいだった。

心配でいっぱい過ぎて、

 

 

もしこんな感じの返信が来て、

喧嘩売ってきてるんだったら、

買う準備はできてるぞ、コンニャロー!不安ピリピリ

 

 

……くらいの臨戦態勢にならないと、

返信を読むことすらできないくらい、

 

超ビビリで、

自信がなくて、

小心者の自分がいる。

 

 

 

だけど、

返ってきたメールは拍子抜けするぐらい、

私への感謝と、自身の気付きに溢れていた。

 

 

モヤっとする部分はあるし、

今後どうしたもんかと思う部分もあるけれど、

そのメールを2回くらい読み返したことで、

自分がどんなメールを送ったのか、

読み返す決心がついた。

 

 

そこには、

書いた当時は呆れ果て、

怒りも含めた言葉を書いた

印象があったのだけれど、

 

本当に怒りでこの文章を書いたのかと驚くほどに、

愛に満ちた言葉が綴られていた。

 

 

そんなふうに書いた記憶は、

確かにある。

 

それなのに、

書いた当時と今読み返した印象が、

ガラリと一変してしまったのだ。

 

 

『私、いいこと書いてるじゃん』

 

 

なんて、自画自賛泣き笑い

 

 

アドバイスのつもりは全くなかったのに、

完全にアドバイスでしかない内容。

 

 

私って本当に、

自己評価と他者評価が一致しない。

 

 

だけど、ちょっと、

ホッとした自分がいる。

 

 

私はちゃんと、

愛を持って接することができる人間だった。

 

そう思えた。

私の自己価値感を向上させた。

 

 

私と関わってくれてありがとう。

 

私の言葉をきちんと受け止めてくれて、

ありがとう。

 

 

私がしていきたいことは、

 

『自分自身が自分にとっての

 最高の智慧の神になっていく』

 

そんな人たちを増やしていきたい

ということなんだ。

 

 

私が伝えていくことは、

一人ひとりにとってはきっかけでしかない。

 

だけどそのきっかけがなければ、

始まることすらしないんだ。

 

 

私があなたを救うとか、

そんなことは言えない。

 

いつだって、

自分を救えるのは自分だけだと、

自己否定の塊だった私には解るから。

 

 

励まされても、

優しい言葉をかけられても、

厳しいことや辛いことを言われても、

 

結局そこから

立ち上がることができるのは、

 

自分が、自分で、

立ち上がりたいと、

立ちあがろうとする意志を

持った時だけ。

 

 

 

 

立ちあがろうとするあなたに

私ができることはなんだろうか。

 

占いの知識を教えること。

考え方を伝えること。

 

きっと、そこだけなんだ。

 

 

私ができることはちっぽけで、

全然大したことでもないし、

占いの知識なんて、本読めば手に入れられるし、

考え方だって、私の方法じゃなくたっていい。

 

 

私の哲学は私だけのもので、

誰かにとってはどーでもいいことで、

誰かにとっては刺さるかもしれない。

 

その、刺さった誰かだけに、

私は伝えていきたい。

 

 

今はきついかもしれないけれど、

未来の自分は大丈夫だと信じてほしい。

 

その言葉をお守りのように握りしめて、

一歩を踏み出す勇気を持ってほしい。

 

 

何度も、何度も、

終わりにしたいと泣いたけど、

 

生きることとは、

こんな自分を許していくことなのかもしれないと、

今は泣いていてもだいじょうぶなのだと、

きっとうまくいく、

未来の私はだいじょうぶなのだと、

 
何度も、何度も、言い聞かせて

繋ぎ止めた命で私は今、

このブログを書いてる。
 

 

 

 

今がきつくても、

今がきっと最底辺で、

 

今日より明日はきっといい日で、

幸せになるために、

幸せを感じるために、

確かにこの3次元の世界に生まれてきたのだと、

 

幸せを感じられる私になれたのだと、

未来の自分はだいじょうぶだった、

過去の自分は頑張ってきた、

えらいぞ、私!

 

そう思えるように。

 

 

 

魚を与えられるのを口を開けて待つような、

いつも飢えている獣ではなく、

 

魚の釣り方を覚えて

自給自足ができる人間になっていこう。

 

 

 

思想家・パスカルはこう言った。

『人間は考える葦である。』

 

人間は最も弱い生物である。

 

だが、

考えることで弱点を克服していった生物である。

 

 

 

私はこの言葉が好きだ。

 

金子みすゞの

『みんな違って みんないい』という

言葉で締め括られる詩が好きだ。

 

 

 

人間は、ひとりひとり、

考え方が違う。

趣味が違う。

嗜好が違う。

思想が違う。

 

だから、

誰とでも仲良くできるわけじゃないし、

真実が1つであるわけでもない。

 

 

誰とでも仲良くしたい時期があった。

 

誰とも仲良くできなくて、

どんどん嫌いになる自分が嫌いだった。

 

誰にも優しくできなくて、

そんな自分を責め続けてきた。

 

 

そんなことなかった。

 

私はちゃんと、

人に優しくできる人間だった。

人に愛を持って接せる人間だった。

 

 

自分にはなんでもない、

呼吸のような考え方や、伝える言葉。

 

 

それが、

誰かにとっての酸素ボンベに、

いつの間にかなっていた。

 

 

2024年初頭

インスタに自分でアップした言葉に、

今の私が救われている。

 

私の言葉はやっぱり、

予言書で、

オラクルカードの神託だ。

 

 

誰かにとってじゃない、

誰よりも私にとっての神託だ。

 

 

だから、

もっと書こう。

もっと伝えよう。

 

どうせ5Bなんだから。

 

そうやって、

私をもっと私が自由にしよう。

 

 

 

セラピーも、占いも、

10年以上学んでいる私が

今でもこんななんだから、

 

その辺を学んだことがない人が、

グルグルしたり、落ち込んだり、

キツかったりするのなんて、

もっと当たり前なんだよ。

 

 

だけど、

考えるのをやめたらそれこそ、

もっとしんどくて、

もっとキツいんだ。

 

それもとっくに経験してるから、

こう言うよ。

 

 

いつ始めたって、遅くない。

だって、今の自分が一番若いんだから。

 

気がついた、今・今・今。

 

ここから一歩、始めよう。

 

 

 

龍石 望

Ryuuzeki Nozomi

 

 

毎週水曜日

松屋浅草店にて、占い師として出演中

 

ご予約も受け付けております。

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メッセージください。

 

占いの館・道しるべ 松屋浅草店

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龍石 望

@nozomi_allsalon