好きな季節ってあんまりハッキリと答えられないんだけど、確かに秋って寂しくてたまらないなぁ。

そんな事を思う朗読劇でした。





どうも、鶴野です。

朗読劇『藍色ノスタルジー』にて、ウミ役を演じました。

2日目の公演は配信もまだあるので、観てない方はぜひ観て欲しいです!出来れば3公演とも!


こんなにも毎公演違う演技をしたのは初めてでした!



喜び、怒り、悲しみ……。

そのどれもが欠けた途端、こんなにも生きることは難しいのかと痛感させられます。



私が演じたウミは作中で、ヒロインとか物静かとか優等生だ、とか言われていたので、1人で読んでいた時は『私の考える優等生ヒロイン像』を作っていきました。

ですがディレクションで『鶴ちゃんの等身大で演じてほしい』とあったので、また1から組み立てる作業がありました。

これがまた難しい。

感情が剥がされる前は、
幼なじみといる時は明るくてケラケラ笑うけど、きっと学校や家では必死に勉強を頑張っている委員長のような子なのかな、というイメージ。

じゃあ、感情を剥がされたあと、ウミはどうなっていくのだろう?

上辺じゃない、本当のウミはどこにいる?



基本的にウミの感情のパラメーターは、今回の3つの感情で選ぶと喜びと悲しみで出来ている気がします。

怒る、という感情は少なそうだなぁと。

怒るよりも、自分に対しての悔しさとか、母親との対峙による苦しさとか、そういった方面が強そう、と。

自分の事より人の事を優先しそう。


それらを踏まえた上で『剥がし』と向き合いました。


ウミは作中では剥がされた直後ってあんまり会話はないんですよね。
語り部としての側面が強いので……。
ですが、少しずつ、少しずつ、どこかがおかしくなっていく様子は伝わればいいなと思いました。

そして肝心の『プルチックの理』への勧誘シーン。デモに行くと報告したシーン。

ここに関しては、『剥がし』が施行されて3年弱も経っているので、かなり緻密に作らねば……。と思いました。


3年弱も感情を制御された人の行く先は?

宗教にハマっていく母親を支える毎日とは?

アザだらけなのはどうして?

『プルチックの理』の人達と会話をしてどうなっていく?




……ここからは剥がされた感情ごとに書いていきます。



 
『悲しみ』

台本から読み取れるウミの性格として、相手にすごく気を遣うんだな、というのが1番にありました。

「心配させてごめんね」
「大丈夫」
「そっか、わかった」

こういう言葉を使う時、本当に申し訳ないと思うんだろうな。

人ってある程度、その場しのぎの言葉、ってものがあると思いますが、ウミはそういうのなさそう。


季節の移ろいに『寂しい』と、
感情がひとつなくなる事に『寂しい』と、
そう思える彼女の感受性は、
『悲しみ』がなくなることに堪えられるんだろうか。

結果的に残ったのは、笑いでした。

よくわからないけど、笑ってどうにかしなきゃ。

って。


おかしくなっていく母親に対しても、きっと彼女は怒ることなんて出来ない。

だから笑う。それが歪でも。


笑ってはいるけど『喜び』ではないし、『怒り』もない。


あれ?『悲しい』が消えると何にもなくなるぞ!!


そんな状態が3年弱も続けば、本気で色んな感情が麻痺しそうだなぁ。

それはとっても、苦しいなぁ。


とか思っていました。




『怒り』

ウミって怒りって感情少なそうだから、案外楽かも?

と思っていた時期もありました。


実際剥がされてみると、『怒り』ってすごく通気孔の役割をしていたんだなと!


もー!

ってちょっとした怒りすら出来ないとなると、どうなる?

怖くね?

まだ残っている喜びさえ超える違和感が、胸の中を支配していく感覚。

怒りはきっと恐怖に。
怒りはきっと絶望に。

なりえる存在だったのです。


例えウミは怒りの感情を表に出さなくとも、自分に対してはきっとあると思うんです。

どうして上手く出来ないの!

どうしたらいいの!

そんな怒りは全部、どうしようもない悲しみへと変換されていきます。

怒りから変換された悲しみの重さはすごい。


おかしくなっていく世界に対して、ただ憐れみ悲しむ、時折笑う毎日を3年間。

さてどうなっていくだろう?


重い悲しみは、喜びすらも押し潰してしまうんじゃないか。

鬱屈とした毎日に、抗う術を失ってしまうんじゃないか。

そう、抗わなくなるんです。怒り『だった』ものに。


『怒り』が消えたら、ひたすらに怯えてしまう自分がいました。




『喜び』

気分が高揚しない日々って想像がつかないなぁ。

私たちは趣味や道楽で、常日頃喜びを求めて生きているはずです。

喜びが足りないと、荒んでいってしまいます。


そんな中バッサリと喜びが消えたら?


まず、笑うことが少なくなるよなぁ。

そして次に、何にも期待しなくなりそうだなぁ。

一番、世界が無になる気がします。


期待もしなくなった世界で感じるのは、きっと憤りに近い何か。


実際、忙しいと人って心に余裕がなくなりますよね。

その心に余裕がない状態が、毎日続いていく感じ。


どうして?なんで?って、怒りと悲しみが時折やって来て、諦めがやってきて、無がやってくる。

……想像するだけで怖いなぁ。


『喜び』を剥がされた回は、自分が怖くてしょうがなかったです。

自分の意思に反して怒ってしまうし、自分の期待にそぐわないと興味を失ってしまうんです。

怒らないと伝わないし、伝わらないと悲しいし、もうずっと苦しい。

呆れも出てきたなぁ。

唯一出てきた笑いは、呆れだったかもしれない。


人生って、とことん『喜び』を大事にするべきなんだなと思えました。







これら3つの感情を改めてみると、ウミが言っていた「好きに理由はいらない」が重みを増してくる気がします。

本当に好きなものは、説明が出来なくとも、よくわからなくとも、根幹にあるはずだから。


ただまぁ、それを踏まえると、ウミが秋を好きな理由に対してしんみりしてしまいますね。

「ちょっと肌寒くて、夏が終わったことを少し寂しく感じられるから」

なんとなく、これがウミの根幹なんだろなぁ。


いつだって少し寂しくて、あの3人といる時は夏のように熱く楽しくて、でも1人になった時、また寂しくなる。

けど、その感覚も好きだなって。

1人の寂しさを知っているからこそ、みんなといる時の幸せがわかるもんね。






……ここまで色々書いてきましたが、私は基本的に演じる時は感覚強めでやる方なので、こうして理論的に考えたものがちょっと不思議に思えてきました。

稽古中もみんなで理論的に演技プランを練っていたので、それを自分の感覚として落とし込む事がとても難しかったな。

でも、めちゃくちゃ楽しかったな!


ちゃんと落とし込む事が出来た時の、気持ちよさと気持ち悪さが最高に面白い朗読劇でした。


周りのキャストさんも本当に良い人で、おふざけにも付き合ってくれるし面倒も見てくれる、優しい優しいお兄さんお姉さん達でした。

甘えすぎてた気がしますが(笑)


もっと自分も大人にならなきゃな、なんて、こうして振り返って思います。


大人って定義難しいけど、素敵な人を見ると見習いたくなる!

すぐには近づけないけど、少しずつ変わっていけますように。



これからも、たくさんの感情に出会えますように。




ここらで今回は終わります。
読んでくれてありがとうございました!

あでゅー!