けど生きてる理由も見つからない。
そんな日々を過ごしていると、毎日が息苦しくてしょうがなくなる。
人は言う。
「生きるのに意味なんていらない」と
だけど思う。
「死にたくないから意味が欲しい」と
私のこの人生に、私はどれくらいの価値を見いだせているのだろう。
他人じゃなく、私自身が。
どうも、鶴野有紗です。
今回は2月から始まります、舞台『遠く吠えて花火をあげる』の意気込みみたいなもんをボチボチ書きます。
まだ本番を控えているので、詳しい内容は伏せますが、主に書きたいのは『生死』についてです。
重たいですが、それに対して毎日向き合うことが、より良いキャラクター作りになるかなと思っています。
実際問題、私は多分誰よりも『生きたい』だの『死にたい』だの色々考えている性格な気がします。
それは創作上の思考だったり、日常を生きていく上の思考だったり。
今回の舞台では『自殺志願者』が集う古民家で話が進みます。
自殺志願者ってなんだろう?
冒頭の話に戻りますが、私が『死にてぇ〜』と思う時は色々なパターンがあって。
上京したての頃はとにかくなんでもいいからどうにかなりたかったなって思います。
それは、ただ死にたい訳じゃなくて
この鬱屈とした毎日に救いが欲しかったんです。
今日という日がどうしようもなく苦しくて、悲しくて、辛くて、でもお腹はすくし、お金もいるし、誰かと関わらないといけないし
気づけば四方八方壁に囲まれてて、空すら見えない。
そんな日々に救いはどこにあるんでしょうか?
私が以前書いた『エトワール・ナイトレイド』
という作品には死にたい、どうにかなってしまいたい女の子達の想いを込めていますが、それらは私のそういった日々を落とし込んだりもしています。
なんだか細かくはわからないけどこの状況から抜け出したい!
生きてる活力がもうないから動きたくない!
そんな時には未来を見ようとしても、塞がった明日のせいで遠い未来なんて見えるわけがないのです。
見えるのは薄暗い、靄がかった今日だけ。
美味しくないご飯に、
荒れた部屋に、
腫れた瞼に、
楽しそうな誰かが
見えているだけ。
ガチで1回10時間ほど泣いたことがあるんですが、その時の腫れた顔はあまりにもやばすぎて思わず自撮りしたもんね。
フルボッコにされたんか?ってくらい腫れ上がって、今では笑い話です。
しかし当時は本当に終わっていて
あぁもうダメだ、全部終わりにしよう
と最初は思って
段々なんにも思わなくなってくる。
本当になんにも思わなくなってくる。
それらを抜けたら、そこから先は死ぬことしか考えられなくなる。
これって多分本当は死にたいというわけではなく、救われたかったんだと思います。
楽になりたかったんだろうね。
何時間も泣いて疲れて寝て、起きてもまた涙が出てくるし、何をしようとポロポロ溢れてくる。
結果、私は腫れ上がった顔がやばすぎて、どん底ってここなんだな〜、あとはもうあがるしかないか〜、って、なんとかまた日常に溶け込む事に成功したのですが。
今回の舞台では、きっと誰をメインで見るのかによって作品の感想が変わってくると思います。
全体で見るか、個人を見るか、本当に色んな楽しみがあるんじゃないかな。
どこを見るにしろ、色んな思いを感じ取って貰えれば嬉しいです。
本当に台本がいいので、台本に負けないよう、良いものを届けられるよう頑張るぞ。
覚悟を持って、向き合うぞ。
本当に楽しみにしててください。
人生かけて、頑張ります!
あでゅ〜