崩れていく学園の中、メインホールに彼女はいた。
「イヌビワ先生」
話しかけると静かに振り向き、申し訳なさそうな顔をする。
どうして君が、そんな顔をするのさ。君が悪い訳じゃないのに。
「……学園長」
小さく紡がれた自分の肩書きは大層偉そうで、思わずこちらも申し訳なさそうな顔になる。それを見たイヌビワ先生は、そっと目を逸らした。崩れていく学園を見るその瞳は、どんな感情を映しているのだろうか。
最終的に私立星煌女子學園の校章までもが塵のように消え、二人の周りには何もない更地が広がる。砂はなくとも砂漠を思わせる土地は、寂しさを際立たせるにはあまりにも適役だった。
さっきまでたくさんの人がいたから、余計に寂しい。
「……なくなりましたね」
「そうですね~」
「悲しいです」
「悲しいんだ?」
「はい」
ネガティブな発言をするイヌビワ先生が珍しくて、じぃっと見つめる。その視線に気づいたのか、居心地の悪そうな表情でイヌビワ先生がこちらを向いた。
「学園長は悲しくないんですか」
問いに答えるのに一瞬の間が生まれる。ヒュッと、息を吸う音が響いた。
「悲しくはないですかね。寂しくはあるけどさ」
「寂しい……」
ゆっくりと目が合って、お互いに分かち合えない感情を感じ取る。優しくて強くて未熟な貴女には、きっとこの気持ちは理解出来ないんだろう。
「せっかく作り上げた、学園なのに……」
「まぁ、……。確かにそれは残念ですね〜」
データは残ってるからすぐに復興出来る、とは言わなかった。言っても無駄だったから。それに、言えなかった。
無垢なものは、無垢なまま居て欲しいでしょう。
そっと、目を瞑る。そのままログアウトの手順を踏めば、最後の方に自分の名を呼ぶイヌビワ先生の声が聞こえた気がした。
「……」
ゆっくりと目を開ければギラギラと眩しいモニターの光が入り、眉間に皺が寄る。ググッと伸びをすれば背中周りや肩がボキッといい音を鳴らした。そのままマウスに触れて初期フォルダを複製すると、コピーに一時間と表示される。
また最初から。けど、もう一度最後から。
頬を軽く手で叩き、気合を入れ直す。でもしばらく時間がかかりそうだし、と立ち上がろうとしたら、椅子に何かが引っかかっているのか上手く立つことが出来なかった。嫌だなぁと思いつつどうにか腰をあげ、床に散乱した何かを避けながら壁にある電気のスイッチを押すと、それはもう汚い自分の部屋が一目瞭然で。
「……」
ため息すらも出なくて、とりあえずまた電気を消した。それから何とか鎮座しているベッドにダイブを決めて、枕に顔を埋める。
どれくらいそうしていたんだろう。少し寝ていたらしく、気づいた時にはモニターの明かりすら消えていた。
のそのそと椅子に座ってパソコンのスリープモードを解除する。目覚めた画面は新しいコピーフォルダを爛々と見せつけていた。誘われるようにそのフォルダをダブルクリックする。途端、訪れるいつもの目眩に頭がチリッと痛んだ。
次に見えたのは、学園の校門。数時間前に崩壊したとは思えないほど新しい私立星煌女子學園。目線を下にやれば、新品同様の革靴がそこにはあった。もう一度視線を前に戻し、大きく息を吸う。新緑の香り。まだ何も知らない無垢な香り。愛おしい、偽りの世界。
たった一つ今までと違うのは、夕暮れだという事。基本この世界は朝から昼までしか使わないから、自分がログインした時には朝から始まるように設定している。なのにどうしてか見上げた空は夕暮れだった。でも今はその謎を追求したい気持ちよりも、綺麗だなという気持ちが大きい。なら、その気持ちに従おう。
ゆっくりと、夕日の射す校舎を歩いて、階段を昇って、屋上から梯子を使って屋根に座る。さっきみたいに大きく息を吸えば酸素が肺を満たしていく。大きく見える夕日に向かって手を伸ばしかけて……止めた。だらんと手を下ろして、目を瞑る。その瞬間だった。
「___、」
自分の名前を呼ぶ声が確かに聞こえた。その声の主を知っているのに、知っているはずなのに、どうしてかたまらなく嬉しくなった。振り向けなくて、ただただ隣に座る気配を感じる。
「貴女が先にログインしてたから、もう夕方なんだね」
返事はない。それはそうだ、だって『彼女』は。
「綺麗だよね、ここから見る景色。なんていうか、心が洗われるってこういう事なのかな。どうなんだろ」
今、自分は上手く笑えているだろうか。わからなかったけど、言葉を紡いでいく。ここは電脳世界。自分が作りあげた世界。特別な世界。
「……最初から説明するね。っていっても続きからになるんだけど……、あぁ、ややこしいな。ごめん。ここはね、私立星煌女子學園」
「知っています」
不意に返ってきた言葉に思わず彼女の方を向く。横顔からは何を考えているのか読み取れなかった。
「そう……そうだよね。ここ、ホシキラは特別な世界……。誰かの特別に、何かの特別になりたい人が選ばれてやってくる。言葉の通り命を懸けて一番を目指して……星になる場所」
気づけば空は段々群青色に染まってきている。チラリと星が輝き出していて、また自分は空に向かって手を伸ばして……やっぱり止めた。だらんと下ろした手は手持ち無沙汰でどうしようもない。
「夜、ですね」
「そうだね、あっという間だ」
「夜も綺麗です」
彼女が星に向かって手を伸ばして掴むような動きをした。もちろん掴める訳なんてないんだけど、その握った手の中には本当に星がある気がした。だから思わずその手を衝動的に掴んでしまう。ハッとした時にはもう遅くて、目の前の彼女は少し目を見開いてこちらを見ていた。
「あ……、ごめん」
慌てて手を離す。制御出来ない自分はなんて惨めなんだろう。結局は自分だってこの世界で何か『特別』を求めているんだろう。そんなの、きっと見つからないのに。空に輝く星達はどれひとつ自分のものではないのに。目の前の彼女だって、……。
「……学園長」
途端、肩書きで呼ばれパチンと目が覚めたような感覚になる。自分でも恐ろしいくらいに体の中から頭の中までスーッと風が通ったような気がして、震えた。そしてその震えを掬うように、彼女がこちらの手を優しく握る。やけに冷たい手だった。
「イヌビワくん……」
「学園長、この世界での私の役割は何ですか?」
「役割……、生徒達を星に導く、こと……」
「承知しました。精一杯頑張らせていただきます」
「うん……」
「学園長?」
「イヌビワくんは……」
「はい」
「どうしてそんなに強いの?」
「……そうですね、きちんと役割を与えられているからでしょうか」
「役割……か」
「はい。学園長もお強いでしょう」
「……ははっ、そうだね。強い強い。そりゃ強いですよ。だってなんてったって自分は学園長ですから」
笑いかけると、満足気にイヌビワ先生が手を離す。温もりを分かち合った指先は、少し寂しくて。でも、自然に笑えた頬に自分で触れれば確かに少しの熱を隠していた。それだけが、この世界で今自分を確立させている要素なのかもしれないと、頭の隅で思った。
その特別は、未だ電子の海で溺れている。