私の知らない世界で咲く花は、どれだけの美しさを秘めているのだろう。その花を見つけて、喜んで、暴いてしまいたい。でも、知らない花に想いを馳せる時間も愉しみたい。
 なんて、青い空を見上げながら考えていた。沙羅双樹の花の色。花ごと落ちる、夏椿。戻した視線の先にいる懐かしい面影は、記憶を辿るには余りにも刺激的で。出逢いというものはどこまでが偶然でどこからが必然なのか。
「考えすぎるのも毒、なのかもしれないわね」
 そう呟けば、隣に立って水分補給をしていた友達がこちらを見るから「なんでもない」と首を横に軽く振る。茹だるような暑さは確実に私達の皮膚を焦がし、体内の水分を減らしていた。
「マジで暑いね、由梨は飲まなくて平気?」
「うん。さっき飲んだばっかりだから」
「それでも何回も飲みなよ~。由梨みたいな白い子見てるとすぐ倒れちゃいそうで心配」
「そんなヤワじゃないわよ」
 友達を小突いては笑い、目はキャンパス内を歩く懐かしい姿をじぃっと追いかける。でも、次第にその姿は見えなくなって、そこは知らない人達が歩くただの廊下になってしまった。
 おんなじ大学、入ってたんだ。
 それはきっと絶対に偶然のはず。だって私の入学先は伝えてないし、私も入学したの知らなかったし、きっと夏まで一度も会わなかったんだからそもそも学科も何もかも違うんだろう。
「……」
「由梨?」
「ちょっとごめん、知り合い見つけたみたいだから追いかけてくる」
「え?」
「また後で!」
 追いかけてどうするのか。会ってどんな顔をするのか。そもそも上手く話せるのか。何もわからないけど、どうしても体が動いたら止まらなくって。ぶつかってしまった人達に謝りながらも必死に廊下を走った。
 小学生から高校生の時に廊下を走ったら怒られてたのに大学生になった途端に怒られなくなるのは、私達がもう大人ってジャンルに入ったからなのか、それとも怒ってくれる人がもういないからなのか、誰も答えは教えてくれない。
「さ、沙羅さん!」
 ようやく見えた背中に叫べばギリギリ声が届いたらしく、彼女が足を止める。柄にもなく心臓がドキドキしていた。運動なんてしないのに走ったせい。きっと。
「え……」
「ちょ、ちょっと待って、息、整えさせて」
 ぜえはぁと膝に手を付き何とか息を整えてゆっくりと前を向き直せば、そこには少しだけ大人になった彼女がいた。制服じゃないから?メイクしてるから?少しだけドキマギして、もう一度大きく息を吸って整える。
「ええと、その……。んーと、久しぶり……?」
「……千歳先輩」
「まさか同じ大学に入ってるとは思ってなかったからビックリしちゃった。……元気にしてた?」
「まぁ……元気かと言われれば答えは『はい』です、かね……」
「そう、よかった……。でも今日まで全く見かけなかったから、学科が全く違うのかしら」
「多分、そうかと」
「うん……」
 姿を見つけた時はこんなに動揺しなかったのに、いざ対面してみればこんなザマだ。手持ち無沙汰で髪を触りながら、今の自分は上手く笑えてるか不安になりつつも会話を続けようとして、……どう続ければいいのかわからなくて、思わず黙り込む。しばらくの間があった後、会話を再開させたのは沙羅さんの方だった。
「千歳先輩は元気ですか」
「へっ?あ、うん。もちろん。とっても」
「雨宮も元気ですよ。近くの花屋に就職したって」
「そうなの……」
「はい。知り合い?の花屋だったのかな、そこら辺は忘れちゃったけど……」
「……もうあんまり話してないの?」
「うーん、そうですね。高三でクラス離れたし、そっから徐々に減ったかも?でも、別に今でもたまに話しますよ」
 友達。その境界線はいつだって透明なピアノ線のようだと幼い頃に思ったことがある。触れれば音は鳴るのに、見失えば一瞬で全てを失う。残るのは、ただ、あの音だけ。
 沙羅さんと雨宮さんの線も、私と二人の線も、多分もうあまり見えなくなっていて。けれど綺麗なあの音だけは、きっとこれからも記憶に刻まれていくんだろう。
 だからこれは、悲しいことじゃない。変わっていく音の流れに、身を任せるだけ。
「そう。なら、私達もまた会えたらお互い色々話しましょ。積もる話もあるだろうし。突然引き止めてしまってごめんなさい」
 さっきまではあんなに思考がまとまらなかったのに、どんどんとクリアになっていく。また今度なんてないかもしれない。それでも不確かな未来を夢見るくらいは、きっと許される。出逢いはいつだって偶然で、必然なのだから。
「いえ、久しぶりに千歳先輩と話せて嬉しかったです」
「ふふ、私も。高校時代を思い出してウキウキしちゃった」
「ウキウキって……」
「なぁに、変な事言った?」
「……いいえ、何も。楽しそうでなによりって思っただけです」
 クスクスと二人、笑い合って。
「じゃあ、また」
「ええ、またね」
 手を振り合って、お互いに背を向けて。
 私も変わったし、沙羅さんも、雨宮さんも、きっと変わった。あの音色はもう鳴らない。けど、確かにもう一度心の中に咲いた花をひっそり愛でる度に思い出せるだろうから。
「由梨ー!コンビニでめっちゃ美味しそうなアイス売ってる!行こー!」
 少し離れた先で私に手を振る友達に駆け寄り、そのまま腕を絡ませ。「暑いから」って嫌そうな顔をされるいつも通りの反応に安堵して。
 懐かしい音色と新しい音色が、私の心の中の花を優しく撫ぜているのを感じていた。