ガタンゴトン、と電車に揺られながら窓の外を眺めていた。太陽はもう沈みかけていて、川がキラキラと光を反射している。もうすぐ夜が訪れるらしい。車内アナウンスの声が頭の遠くの方で流れていて、それはまるで子守唄のようだ。
腫れぼったい目が重い。気を抜いたら寝てしまいそうになる。けど、確か最寄り駅はもうすぐだから、寝るわけにはいかない。
今ここで寝たら、またあの世界に行けたりしないかな。そこで会えたりしないかな。
もう会えない人に思いを馳せるのは、これで何度目か。
ようやく着いた駅から携帯の地図アプリで目的地まで歩く。しばらくすると閑静な住宅街に入り、地図アプリが『目的地周辺です』と言う。目的地らしい家はかなり大きくて、緊張しながらチャイムを鳴らした。でも不在なのか応答がない。
それじゃ困る。ここに来た意味が無い。
だから何度も何度も鳴らして、もう流石にダメかと諦めかけた時『……どちら様?』とドアホンから小さな人の声が聞こえた。なんて名乗ればいいのかわからなくて、持ってきた封筒を見せる。
まるで闇の取引みたいだな、と。開いたドアを見て思った。
「ごめんね、今ちょっと中が汚いんやけど」
家から出てきたのは綺麗な女の人で、左薬指に指輪をしていたから既婚者みたいだった。通された家の中は汚いという割に綺麗で、謎にキッチンだけが荒れている。
「ご飯作ってる途中に頭おかしくなって、暴走した結果がこれ。笑えるやろ」
それはなんとも返答に困る内容で、とりあえず少しだけ同じように笑う。すると、彼女はソファーに座るように促した。その通りに座ると、目の前に菓子折りとお茶が出される。
「せや、お腹すいてる?今日豪勢にしようと思って買い込んでたからいっぱい食材あるねん。あ、鯛とか好き?めでたくいく?」
その言葉に首を振り。
「今日、葬式だったんで」
そう言えば、彼女は「あぁ……」と表情を曇らせる。
「せやから制服なんか。高校生?」
「中学三年生です」
「中学生!」
曇った顔から一転、彼女は驚いた顔から嬉しそうな顔に変わり、キッチンの掃除をしていく。
「そんな若かったんやねぇ……。ええと、なんて呼べばええんやろ。ハナビちゃん?って言うかそもそも覚えてる?いや、覚えてるからここに来たんか」
「はい。覚えてます、コトノさん」
「わぁ……。なんかその名前で今呼ばれんの、恥ずかしいかも」
「……コトノさん」
「なぁに?ハナビちゃん」
「大丈夫ですよ」
「……なにが?」
床を拭き終えた彼女、……コトノさんが、手を洗う。その音だけが二人を満たしている。
「貴女は何も悪くないです。犯人でも、ない」
「……」
「そもそも寿命でした」
やがてコトノさんはキュッと音を立てて水を止めると、ゆっくり手を拭いて、それからこちらにやってきて静かに隣に座った。
「ねぇ、君がエトワールになったん?」
「わかりません。ただ電脳世界での記憶ははっきりとあります」
「……学ラン脱ぐ?暑いやろ」
「ありがとうございます、大丈夫です」
「はぁ……。ごめんなぁ、うちもだいぶ混乱してるねん。もう、色々ごっちゃになってて。……うちは記憶こそあるけど残念ながらエトワールにはなれんかった。当たり前やけどね」
ポタン、と蛇口から一滴の水が落ちる。
自分自身エトワールになれたのかも、これが約束された未来なのかも全くわからない。けど、少なくとも今この時の現実を動かすのは僕自身しかいないのだと、痛いくらいに理解していた。
“その人”は、僕にとって太陽そのものだった。どんな事があっても彼女に話せば心が楽になった。辛い時に彼女の前で延々と泣いていた事もあった。そして、彼女は最期まで綺麗な目をしていた。病室でもう面会は最後かもしれないと告げられた時も、静かに、何も言わずに、ただこちらを見ている目は綺麗だった。
最期には立ち会えなかった。彼女は太陽が昇った朝に亡くなったという。それが何とも彼女らしくて、僕は泣きながら笑った。
彼女は確かに死んだ。病気だったし、寿命だった。
けれど、僕は『彼女が渡してと言っていた』と渡された封筒を見て驚愕したのだ。
『私はここにいる』
その文字を読んで手が震えた。どういう意味が全くわからなかったけど、もう一度会えるなら、もし生きているなら、そんな儚い夢を抱いて僕は夜を待った。
「葬式は明日の昼でいい?」
「いいんじゃないか。早く済ませよう」
そんな事を、傍らで両親が話していた。
夜に夢を見れば、そこは太陽が光り輝く世界だった。学校の校門らしき所に突っ立っていた僕は、不意にかけられた声にバカみたいに怯えてしまって。
「大丈夫ですよ、自分はこの学校の偉い人ですから」
「あの、その……」
「わかってます。貴方IDが彼女と同じですからね~。それに、見た目も彼女のアバターそのままだ。うーん、困ったなぁ。そもそもなんでログイン出来たのか……」
「私、……えっと、私?あれ、私」
「一人称は自動で変換されるので安心してください。それから、貴方の名前は、……ハナビで登録しましょうかね」
花火。花のように咲く火。束の間の美しさ。
彼女の代わりとして、これ以上ないくらいピッタリの名前に、僕は頷く。
「彼女は残念ながらこの電脳世界でも先程死を迎えました。おそらく現実世界でも最期を迎えたのでしょうね。よい足掻きでしたよ、とっても」
「……やっぱり、もうここにもいないんですね。じゃあ私は何の為にここに……」
IDが一緒ということは、もう彼女はここにログインしていないという事に気づいていた。けど、気づいた所でどうしたらいいのかわからない。だってそれなら僕はここに用なんてないのだから。
「彼女が貴方をここに呼んだんですよ。それが彼女が望んだ未来だったんでしょう。それに、彼女はある人の言葉で死を受け入れたと言っても過言ではない」
「え……?」
「現実世界の彼女は病死でしたが、おそらく意識はしばらくまだこちらにあったんでしょうねぇ。何かやるべきことがあったのか何なのか。まぁどちらにせよ、死を自ら選び、舞台の上で散りました。美しい散り際でしたよ」
「ある人の言葉って、なんですか」
「さぁね。それを探せってことです」
「……私が」
彼女は確かに死んだ。病気だったし、寿命だった。けれど、彼女は生きる事に懸命だったはずだ。なのにどうして突然死を受けたのか。……僕は知りたい。どうしても、こんな世界に希望を見出したい。
グッと意気込んで顔を上げると、目が合った相手は恭しくお辞儀をしてみせる。
「ようこそ、ここは私立星煌女子學園。エトワールになれば、約束された未来が現実世界で用意されます。ハナビくん、貴方はイレギュラーな転入生だ。そんな貴方はこの世界で何を望む?何を願う?……とにもかくにも、さぁ命を燃やすほど生きて、もがいて!彼女が遺した想いを、どうぞ探してみてください」
「それで、いつうちが犯人だって気づいたん?」
テーブルの上の菓子折りをコトノさんがポリポリと食べる。僕は手持ち無沙汰なのが嫌で、同じように菓子折りを手に取った。
「いえ……。正直最後まではっきりとはわかりませんでした。でも、起きたら封筒の中身が変わっていたんです。『ここに行け』って、住所が載ってて」
「プライバシーとか何とかなさすぎやろ」
「まぁ。……それで電車の中で色々考えて、コトノさんなのかなぁって考えてたらビンゴでした」
和紙に包まれた煎餅を、真ん中でパキッと割る。
「会えて、よかった」
そう呟いてからコトノさんを見ると、キョトンとした顔をしていて。他の三人は元気にしてるだろうかと、ふと思った。
気恥ずかしくなって俯き、更に煎餅をパキッと割る。
「彼女が死んだ理由はいつでも聞けるけど、Dの四班の皆さんが死んじゃったら、聞けなくなるから。それに、彼女が望んだ約束された未来ってのは、……Dの四班をエトワールにさせるなって事だったのかなって」
「……どういうこと?」
「死んだら人は星になるって言うじゃないですか。あの学園には星になりたがってる人ばかりだったから。死なせるな、って事なのかなぁ……と封筒の中身を見て思いました。コトノさんが死なないでよかった。生きてくれててよかった」
和紙をそっと開き、四分割になっている煎餅の一欠片を口に入れる。醤油の香りが鼻を抜けて、僕はポリポリと噛み砕いていった。
「皆さん、元気ですかね……。案外全員近くにいたりして」
煎餅を飲み込んで、返事のないコトノさんの方を向く。すると、それはそれは花が咲いたかのように、可憐な少女のように、コトノさんは笑っていた。
「なぁんや。ほんまのエトワールナイトレイドは、ハナビちゃんってことか」
「え?」
「いや、なんでもない。……なんでもないよ」
目尻に溜まった涙をそっと人差し指で拭って、コトノさんは立ち上がる。そのままキッチンに行くとまた片付けを再開させた。
「ちょっと待ってて。簡単煮込みハンバーグでも作ったるわ」
その姿は凛としていて、僕は残りの煎餅の欠片も食べ尽くす。窓の方を見ると、綺麗な夜空が広がっていた。