なんで私はこんなにも文章を紡いでいるんだろう。好きなのはわかるけど、どうしてこんなにも書こうとしてるんだろう。
そんな事を考えたら止まらなくなる夜だった。
元々そんなに読書家でもなく作文も苦手な私は、なぜか一昨年の冬、思い切って短編を書いてみようと思った。
きっかけは今でも覚えてる。
かなり自分の中でショッキングな事があったからだ。
元々短編とまではいかなくとも、感情が動いた時は脳内でそれを文章化したり、妄想に繋げて感情を別の形で昇華していた私。
それを本当に文字として形に残せたら、何かが変わる気がした。
実際変わったかと問われれば、100変わったと答えられるだろう。
どんな感情も物語に繋げれば、乗り越えられる気がしていたし、多分本当に乗り越えれていた。
そうして年月が進み、書く話も少しずつ中身が濃くなっていったように思う。
でも逆に、どんどんと欲が出て、書き方がわからなくなってきてもいる。
ただ書きたい
が
上手く書きたい
と。
それは人間の成長として考えたら正常な思考。
確かに視野は広くなった、かもしれない。
よく人に聞かれる。
『どうやって物語を考えているの?』
これに関して私ははっきりとした答えを持ち合わせていない。
強いて言葉にするなら、……うーん。
毎日感情が動くごとにジグソーパズルのピースをひとつ見つけて、それを段々繋げて気づいたら物語になる事もあれば、逆にこんな物語を作りたいからって、今まで集めたピースを当てはめていく場合もある。
……こんな説明してもわからんくない?
少なくとも私は当事者だけど上手く理解できない(笑)
でもこれ以外にいい説明が見つからないのだ。
正直今でも物語を書くことは少し恥ずかしくて、『読んだよ』と周りに言われるとむず痒くなったりする。
心を擽られたような感覚になる。
でもそれがたまらなく嬉しく、クセになる。
クセといえば、よく私は自分を孤独だとなんだの騒ぐ癖がある。
友達がほしー!!
オタ友ほしー!!
てな具合で、定期的な発作が起きる。
これは本気で友達が欲しいという気持ち半分、ただ騒ぎたい気持ち半分って具合だ。
ホント最近思うのが、孤独だからこそ書けるものがあるんだなということ。
1人の時間があるから、自分と向き合う時間が増えるし、自分じゃない別の世界と向き合う時間も増える。
つまりは、孤独も受け入れてしまえば楽なのだ。
受け入れるは諦めるでもあるけど、ほら、諦めが肝心という言葉もありますしおすし。
合法的な孤独は体にいいんです(?)
それに文章は読み返せるからいい。
あの時こうだったな、ってなったりするし、短編なら読んだ時の感情をいつだってリピート出来る。
仮に私がこの世からいなくなっても、読まれていく。
もし私が立派な作品を書き上げて世に残ったら、遠い未来で私を2次元で超絶美少女の擬人化してほしい。
なんの話をしてたかマジでわからなくなりました。
まぁ今回書きたかった事としては
なんで私は文字を紡ぐのかというのに関しては、感情の整理と孤独の合法化の為だということ。
それを改めて理解するとわかることがありますね。
そう。
このブログはぐちゃぐちゃになりかけた感情の整理をしたかったから書いたのと、ぼっちなのが寂しくて書いたって事です。
けっ!!!
最近の趣味はイラストロジックです!!!!
淡々とやってます!!!
最近好きな食べ物はネギトロです!!!
黙々と食べてます!!!
最近毎日運動してます!!!
ごめんなさいこれは嘘です。筋肉痛と戦っているので昨日はサボりました。
とまぁ、こんな感じで私は基本脳内で騒いでいます。
楽しいねー。
ふふふ。
これからも文字を紡いだ際は何卒、よろしくお願いしますね。
私が書く文章を読むと、生暖かい気持ちを得ることが出来て健康に効くらしいです。(元気にピースしてる顔文字)
ビバ、健康ライフ。
あでゅー。