「私は、千歳先輩が好きです……」
 ようやく口をついて出た言葉は、想像以上に私自身の心を震わせた。やっと言えた、言ってしまった。けど、私が言いたいのはこれだけじゃない。
 涙でぼやけた視界から薄ら見える千歳先輩は、口を開けて驚いていて。私もだけど、当事者にいざなると案外色んな事を見落としているみたいだ。それは存外色んな事を狂わせる。
「好きだけど、わからないんです」
 これは告白じゃない、相談。受け取ってもらいたい気持ちじゃ、ない。
「好き、笑って欲しい、傍にいたい、でも、その先にいきたいわけじゃない……。この想いを、受け取ってほしいわけじゃない……。両想いに、なりたいわけじゃない……。これは恋なんでしょうか……。千歳先輩とか、雨宮とかの、好きとは、何が違うの……?どうして、違うの、っ、わかんな、わかんないっ……」 
 最後の方は嗚咽と混ざって、上手く言えなかった。そこからはもう小さい子みたいに、わんわん泣いた。最初は優しく親指で涙を拭ってくれた千歳先輩も、途中からはハンカチを使ってくれていた。
 そのうち椅子がガタッと動く音がして、それから涙を拭ってくれていたハンカチをぎゅっと持たされて、なんだろう?って思ってるうちにふわっと体が千歳先輩に包まれる。
「なんにも違わなくないわよ!沙羅さんの好きも、ちゃんと、私たちと同じ、好きよ!」
 あぁ、いい匂いだなぁ。なんの花の、匂いなんだろう。
「ばか!ばかばか!沙羅さんのばか!なんでっ……!」
 力強く、強く、背中に回った腕に力が込められるのを感じる。私もゆっくりと千歳先輩の背中に腕を回した。そして、長くて艶やかな黒髪に思いっきり頬擦りをする。涙が汚くてごめんなさいってほんの少し思った気もするけど、もうそんなのどうでもよかった。
 どこまでも幸せになれない私たちは、身を寄せ合って、慰め合うしかなかった。

 どれくらいそうしていたんだろう。しばらくすると、お互い前のめりでの姿勢だからきつくなってきて、そっと離れて顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。「酷い顔」なんてセリフを言い合って、涙を拭った。
「……沙羅さん、あのね」
「……はい」
 私の乱れた髪の毛を優しく直しながら、千歳先輩が柔らかい笑顔を浮かべる。そして、

「ありがとう」

 たった一言。
 それが、私の中にじわりじわりと染み込んだ。
 せっかく涙が止まってきたのに、また溢れ出す。好きと言って、好きと返って来なかったとしても。ありがとうと受け取ってもらえるのはこんなにも幸せなことなんだと知った。……雨宮に、私はありがとうとは言えてない。ちゃんと、後で言わなきゃ。
 想いはこんなにも、目に見えないのだから。
「……千歳、先輩」
「ん?」
「ありがとう、ございました」
「……うん」
 大切な、気持ちと、時間。これらはきっと、私の中でずっと忘れられないものになる。私だけの、大切な。
『文化祭のお知らせです。まもなく、表彰式が行われます。全校生徒は体育館に集合してください。繰り返します』
 校内放送が、文化祭の終わりが近づいたことを知らせる。私たちは椅子から立ち上がると、教室を出なくちゃと歩き出した。
 この教室を出たら、どうなるんだろう。文化祭が終わったら、どうなるんだろう。千歳先輩はあっという間に卒業して、会えなくなるかもしれない。これが最後の思い出?
「待っ……て!」
 ドアに手をかけた千歳先輩を思わず引き止める。引き止めてどうするの?なんてもう思わなくて、ただただ動く体に身を任せた。腕を引いて、向かい合って、目が合う。
「沙羅さん……?」
 これ以上ないくらい汗が出てる。この教室は今日使われてないから冷房がついてなくて、余計に暑い。でもそれ以上に熱い。千歳先輩も汗をかいてる。女神様も人間なんだなぁ。汗も、かくんだ。さっきまで泣きあってた癖に、ちょっと不思議で。
「今、キスしたら、どう思います、か」
 キョトンとした千歳先輩の顔を、もう直視は出来なかった。
 あの日、初めて見た千歳先輩と雨宮のキス。あれがずっと私の脳裏にチリッと映っていて、それを上書きしたい。わがままなのはわかってる。でも。
「好きな人と、キス出来たら、嬉しいでしょう……?それなら、……それなら、せめてもの」
 そこまで言いかけて。
「……いや、ダメ。やっぱりダメ。なんか、ダメ」
 頭を横に振って。
「私が、もうちょっと、泣いた顔が落ち着くまで……ここにいたいです……。あと、三分だけでいいので……」
 勇気を振り絞って、千歳先輩の制服の裾を掴む。先輩の表情はわからないけど、ふっと笑ったような息が聞こえた。そして先輩は裾を掴む私の手をそっと上から包むと、優しく握った。

 ねぇ、先輩。私は言い忘れた事があるんです。ありがとうは言えたけど、ごめんなさいは言えなかった。最後まで先輩の味方になれなくてごめんなさい。色んな事に気づけなくてごめんなさい。好きになってしまって、ごめんなさい。でも後悔はしてません。この好きは自然消滅するまで、多分ずっと抱き締めてる。思い出を、ありがとう。

 ずっと床を見ていたけど、この空気に耐えきれなくてぎゅっと目を瞑る。そしたら頬に何かが触れて、なんだろうと思う前に、そっと唇に感触があった。