夏休みはあっという間に過ぎて、二学期が始まった。その間、特に雨宮と千歳先輩は進展なく……というか、あの時以降話しているところを私が見ていない。そんな私はというと、相変わらず夏休み中は千歳先輩と行動を共にしていたものの、雨宮の話題はどちらともなく避けていた。
夏休みが明けてからはクラスの出し物に取り掛からないといけないから、生徒会の手伝いはもうしていない。雨宮も、出し物でやる劇のヒロインに抜擢され、生徒会にはあまり顔を出せていないらしい。つまり、私達二人は千歳先輩とそもそもの接点がなくなっていた。まぁ、学年違うとそうなるよね。
「雨宮、どこまで行くの?」
衣装のボロボロワンピースを着た雨宮の後ろ姿をゆっくり追いながら、視線を上にやれば晴天。日差しが強くて、ちょっと歩いてる今この時だけで、日焼けしちゃいそうだなとか思った。
私の問いに答えることなく歩く雨宮に、どうしたんだろう?と思いつつ、その格好で校内歩くと異世界転生ものみたいだなぁとかも思ったりして。灰被りの彼女は今、何を考えてるのだろう。
クラスがやることになった劇は『シンデレラ』。ありきたりだけど、そこに現代風のニュアンスをいれてどうのこうの……らしい。私は背景をひたすらに塗る係だったから詳しくは知らないしそこまで興味もなかったけど、さっきの通し稽古を見る限り、ドタバタ騒ぎだけどちゃんと最後はしっかりと終わる、素人目で見ても面白いものだった。雨宮の凛とした姿は舞台でとても映える。
そして校舎の奥、自販機の傍。そこで雨宮は立ち止まると、くるっと少し勢いをつけてこっちを向いた。
「あのさ、葉月」
何かを決心したような瞳でこっちを見る雨宮は、ちょっと別人みたい。それにつられて私まで、思わず息を整えて身構えてしまう。ただ、身構えたところで、雨宮が発した言葉に私は全ての思考を放棄することになる。
「告白しようと思う」
一瞬何を言われたのかわからなくて、よくよく考えて、ようやく言われた内容を噛み砕く。それでもどう言葉を返せばいいのかわからなくて、なんにも言えなかった。
「明日の劇が終わったら」
明日の劇。シンデレラ役の雨宮。王子様役は、あのサッカー部員だ。
なんて運命なんだろう。抗えない。私はもう何も言えない。
雨宮の決心とそこに追加された恥じらいが、本物のシンデレラのように見えて思わず手を伸ばしそうになる。
私の知らない雨宮にならないで。いつもみたいにゲラゲラ大きく笑ってよ。
「……そ、そっか」
目を逸らして相槌を打つしか出来なくて。それからふと千歳先輩の顔が思い浮かんで、シャボン玉のようにパチンと弾けた。
どうしたらいいんだろう。どうしようもないんだろうか。味方になりたいよ、私は千歳先輩の。でも、それと同じくらい雨宮も応援したい。
上手く動かない歯車が、ガタリと外れていく。
「なんで私に……言ったの?」
「えっと……予行練習っていうか……」
はにかんだ雨宮に、ようやく知った顔が見えた気がして、ゆっくり自分の顔を正面に向ける。
ごめんなさい、千歳先輩。私には、どうしようもない。雨宮の運命は、変えられない。
そんな重い思いをそっと心の真ん中に置いて、私は雨宮に笑いかけた。
「頑張って」
嘘じゃない、本当の気持ち。雨宮には幸せになってもらいたい。
「うん」
私を見て嬉しそうに笑う雨宮が、明日もっと笑顔になればいいなと思った。同時に、明日一緒に劇を見ると約束した千歳先輩になんて言えばいいんだろうかと考えて、今は申し訳ないけど、目の前の大切な友達の事だけを思わせてほしかった。私は全知全能の神ではないし、大した力もない。本当に小さな存在だ。だから、だから。って雨宮の事だけを思いたい私と、それでもって悩む私が、ずっとせめぎ合って。
蝉の声がうるさい昼間の事だった。
そして文化祭当日、体育館で千歳先輩を見た私は猛烈な後悔に襲われる。これから千歳先輩がどんな顔をして劇を見るのかと思うと胸が痛くなって、息をすると苦しかった。
「沙羅さん、こっちこっち」
千歳先輩は何も知らない顔で楽しそうに私を端っこの席に誘う。どうすればいいのか考えながら、私は素直に従い座った。
「沙羅さんは劇を手伝わなくていいの?」
「案外人数いらなくて、数人はこうして席から動画撮ったり普通に観ていいってなったんですよ」
「ふぅん、そうなのね。あ〜楽しみ!」
「……」
そういえば。そういえばだけど、千歳先輩は雨宮に好きな人がいるって知ってるんだった。一番最初にそう言っていたのを今の今まで忘れていた。待って、それって誰なのかまで知ってるんだろうか?
「え、あの」
「ん?」
「その、千歳先輩って、雨宮に好きな人いるって知ってるんですよね」
「……ええと、そうね」
「誰、なのかは、知ってるんですか」
「知ってるわよ」
嘘!?
とまでは言葉にならず、努めて顔は動揺を出さないようにした。なぜなら、知ってると言う千歳先輩の顔色が全くと言っていいほど変わらなかったからだ。
「う、うちのクラスの劇、王子様役は雨宮の好きな人で……」
思わずそう言うと、そこでようやく千歳先輩の目が丸くなった。そしてしばらく下を向いて何かを考えると、私の方を向いて小さく笑った。
「そうなのね」
たった一言。だけど私にとっては衝撃的。
あぁもう。雨宮も千歳先輩も、勝手に私を置いていかないでほしい。当事者よりもこんな心乱されるなんて、なんか嫌だ。……このザワザワはなんなんだろう。
私はザワつく胸に手を置いて、ゆっくりと舞台の方を向いた。舞台はゆっくりと、幕が上がっていた。