千歳先輩と二人で入った生徒会室には誰もいなかった。空いている机の上にチラシを置き、冷房の効いた空間を堪能する。
「やっぱり文明の利器は活用するべきですよ……」
ぐでんと椅子に座れば、先輩はクスクス笑いながら窓に寄りかかる。前を見ると、黒板には『学祭成功させるぞ!』と真ん中にでかでかと書かれていて、それを囲むように小さい字で『あと一ヶ月もない!』とか『予算守れ』とか『青春楽しむぞ〜』とか、多分生徒会の面々が書いたであろう言葉もあった。
いいなぁ、青春。
私もそれなりに堪能はしてるつもりだけど、イマイチ青春ってのは難しい。きっとこの制服を着られている今は何をしたって青春の内に入るのかもしれないけど、それでもより良い青春を味わいたくて、私達はきっと泣いて笑って行動していくんだろう。
「葉月〜、ケータイ見てよ〜!」
感傷に浸っていると、ガラガラと勢いよく生徒会のドアが開く。開けたのは、紙パックを二本持った雨宮だった。雨宮は私を見たあとギョッとして千歳先輩を見て、また私の方を見る。先輩は私の角度からは見えないけど、多分同じくギョッとした顔で雨宮を見てるんだろう。私はポケットの中から携帯を出して『種類何がいーの?』という雨宮からのメッセージに既読をつける。
「ごめんごめん、美術室からここまでチラシ大量に運んでたから返すの忘れてた」
「そっちから飲み物買ってこいって言ったくせに横暴だよ横暴」
「ごめんって」
「てか、千歳先輩いるなら言ってよ。二本しか買ってきてないじゃん」
いちごオレとカフェオレを軽く揺すって、不服そうに雨宮が口を尖らす。多分、いちごオレは私ので、カフェオレは雨宮の。指定しなかったから、二人でいる時にいつも飲んでるものをセレクトしたらしい。
「私はお茶持ってきてるから、一本先輩にあげてよ」
「まぁいいけど……。葉月の奢りだからねこれ」
「はいはい」
生徒会室の隅に置いてた自分の鞄をゴソゴソと漁り、水筒を見つける。一方で、千歳先輩は「じゃあカフェオレで……」と、カフェオレを受け取ろうとして、「カフェオレはアタシのなんで」といちごオレを渡されていた。いちごオレを受け取った先輩はなんとなくホッとしてるように見えて、もしかして甘い方が好きなのかも?なんて思った。
「雨宮さん、確かフリマの呼び掛けで外行ってたんじゃないの?」
「とりあえず近くのスーパーにチラシ貼って、アタシだけ戻ってきたんですよ」
「え、どうして?」
「今度はチラシ配りするから持ってこいって。ちょーどお二人が運んできたこれ!これを!この炎天下!はぁ〜……」
水筒からお茶を飲むと氷を入れ忘れたせいで少しぬるくなっていて、ぬるい麦茶は夏に向かないと痛感した。でも、地味に千歳先輩と雨宮が二人で喋ってる所を初めて見たから、もう少し見守ってたくて、不味いと思いながら麦茶をチビチビと飲む。
「さすがに大変ね……。それにこの量を運ぶの大変じゃない?私も手伝いましょうか?」
「大変だけど大丈夫ですよ。袋とか鞄にいれてけばいけるだろうし。それに、こういうのは適材適所でしょう?」
「体力だけは自信あります!だっけ?」
「そうですそうです!よく覚えてますね、生徒会顔合わせの時の自己紹介」
「なんとなく印象的だったから……」
……ほんと、普通だな。普通に話してる。それが当たり前の事なんだろうけど、ちょっと複雑というか不思議。もっとギクシャクしちゃうのかと思ったけど、二人共本当に普通に話せてるみたいだ。告白とか、キスとか、したり、されたりしたのに。
「……変なの」
「?沙羅さん、お茶、残ってた?」
「え?あ、はい、バッチリ」
呟きは思わず声に乗り、千歳先輩から話しかけられる。変な答え方をした気もするけど、気にせず私は水筒をしまい、二人が座る椅子の傍の机にもたれた。
「沙羅さん、ねぇ」
雨宮がカフェオレのストローをガジガジ噛みながら呟く。ストローを噛むのはどうやら彼女の癖らしい。おそらく無意識だ。
「何?」
「やー、さ、いつの間に葉月と千歳先輩、そんな仲良くなったんだろー?って」
「何が?」
私の二度の質問に、雨宮が答える。
「沙羅さん、って名前呼びじゃん。アタシは雨宮さん、でしょ?」
「……確かに」
私と雨宮が揃って千歳先輩の方を見ると、先輩はぽふっと顔を赤らめた。持ってるいちごオレが、似合ってしょうがない。まるでどこかのお姫様みたいに小さく首を振ると、おずおずと私達を上目遣いで見る。
「あ、雨宮さんのこと、流石に下の名前では呼べないわよ……」
「なんでですか?」
雨宮の純粋な質問は、千歳先輩にクリティカルヒットし、そして、
「好きな人だし、その……」
ボソボソとかなりの小さな声で呟かれた答えは、雨宮にクリティカルヒットする。
触れてはいけない部分にお互い触れたからなのか、急に黙り出すもんだから、私としては最高に気まずくて。さっきまでの気味悪い普通は、かなりギリギリの状態で作られていたものだと知った。
ここは、私がどうにかするしかないのか。
「え、えっと。……あんまり機会が無いと下の名前って知るタイミングなかったりしますよね。私、よくよく考えたら千歳先輩の下の名前知らないかも」
話題を変えるのに失敗して、そのまま突入してしまう。しかもそれに食い気味に乗っかってきたのは、なぜか雨宮の方だった。
「由梨、でしたっけ」
「へっ、あ、そ、そうよ!由梨!あ、雨宮さんは確か、茜さんよね?知ってはいるのよ!知っては!」
「あー、えーと、ありがとうございマス……?」
なんなんだ。なんなんだ一体。この二人は結局どうしたいんだ。雨宮は先輩の事を好きじゃないなら思わせぶりなこと言うのやめたらいいのに。先輩も、もっといつもみたいな余裕を少しは発揮すればいいのに。
恋というのはこんなにも簡単に人を変えてしまう、恐ろしいものなのかもしれない。
結局、呼び方は落ち着く今まで通りにしようという結論に落ち着き、この話は無理やり幕を閉じた。そして、学祭当日にとんでもない幕が上がろうとしているなんて、この時の私はまだ知らない。