「なぁ店長、もしかしなくても湿気を撲滅することって出来たりする?」
「出来ません」
「くっそ〜……」
梅雨も終わりかけだろうか、少し強めの雨が外で音を奏でている。そんなとあるなんでもない日。今にも死にそうなバイトくんが、カウンター席で机に突っ伏しながら呻いていた。梅雨の空と同じく、彼の心も髪の毛も、着ている蛍光ブルーの服すらも、淀んで見える。
そんな彼に、私はそっとお冷の入ったグラスを添えて手を合わせた。なむなむ。
なんでもない喫茶店、今日は休憩時間多めでお届けいたします。
グラスを手に取ると、ズズズっと音を立てて飲むバイトくん。これこれ、温かいお茶じゃなんですよ、と言う前に、ずっと気になっていた疑問をぶつけてみることにした。
「何か爆発にでも巻き込まれたんですか?」
その言葉にまたバイトくんがガバッと机に突っ伏してしまう。何かいけないことを聞いてしまったのだろうか。とりあえず彼のグラスに水を追加して、やれやれとカウンターに頬杖をついた。そうして彼のつむじをちょんちょんをつついてみる。
あれ。なんだかこの感じ懐かしいな。どこかで……。
そうだ。バイトくんとの出逢いもこんな感じだった。泣きながらカウンターに突っ伏した彼の頭をこうやって、つんつん、つんつんとしたら、少し泣き止んだんだった。今は泣いてないけれど、効果はあるのでしょうか。
興味本位でつむじをひたすらに押して見る。すると「だぁぁっ!」とバイトくんが起きたので、やはり効果はあるらしい。
「つむじ押すのダメ、絶対!」
「バイトくんがすぐうじ虫になっちゃうのでつい……」
「うじ虫言うな!俺は人間だっつの!」
「でも、ずうっと今日は暗い顔でしょう?」
「ぐっ……」
「まるで今日のお天気みたいですね」
言葉に詰まったバイトくんが、ムスッと頬杖をつく。ふと外を見ると、やっぱり雨は強く窓を揺らしていた。
雨。爆発。バイトくんの言葉。
ぐるぐると頭の中で色んな思考が回り、ひとつの答えに辿り着く私はきっと名探偵。
「湿気のせいで頭が爆発してるんですね!」
「ぶほっ」
言い当てられたバイトくんはというと飲んでいた水を吹き出す始末で。おやおや、とテーブルをタオルで拭き、またグラスに新しく水を追加する。
「頭は爆発してねぇよ、髪の毛が爆発してんだよ……。つか、なんで店長は湿気ダメージゼロな髪してんの……?なんかやってんのか?トリート……メント……?とか……」
「特にケアはしてませんよ」
「ならやっぱ生まれ持った毛質かよ〜、無理ゲーじゃん……」
「無理ゲー」
「勝てないゲームって事……。俺ほんっと雨降ると髪が鳥の巣みたいになるから、しょっちゅうアイツからバカにされんだよなぁ」
バイトくんは大きなため息を吐いてから、それからぐぐぐっと私の方を勢いよく見上げ、バァンとカウンターを叩く。
これこれ、ここは静かな喫茶店なのに、そんな荒ぶっちゃいけません。
「湿気でうじうじしてると余計にジメッとしてきた!ここはいっちょモテテク披露会してジメジメ吹っ飛ばそうぜ!」
「モテテク披露会……ですか?」
「テーマは雨な!」
高らかに宣言するバイトくん。楽しそうだからいいんですが、その、モテテク披露会というのは初耳です。そういえば彼はモテたくてこの喫茶店にバイトしてたんですっけ。
意気揚々と店の真ん中でビシッと手を挙げたバイトくんに、どうぞとジェスチャーしてみると、彼は満足気に腰に手を当てる。
「雨だろ?やっぱり理想のシチュエーションっつったら相合傘に決まり!俺はわざと傘を忘れて、こう言う!」
ちょいちょい、と呼ばれ、なんだろうと思ったら、どうやら私が女の子役らしい。バイトくんの隣に並ぶと、急に何かがスタートする。
「やっべ〜!傘忘れた!」
「そ、そうなんですね……」
「お前傘持ってる?」
「持ってますよ」
「お!なら俺もいれてくれよ!」
「いいですよ」
「「……」」
「「……?」」
私が傘を差すジェスチャーをしたあと、なぜかバイトくんの動きが止まった。どうしたんだろう?と思いつつ、首を傾げだしたバイトくんを見守ってみる。
すると。
「この後ってなんて言えばいいんだ?」
「お礼の言葉とかでしょうか」
「まぁそうなんだけどさ。シチュエーションだけで全然モテテクにならなくね?」
「そうですね、普通の相合傘ですね」
「……俺、そもそも相合傘したことねぇ……。毎日とりあえず折り畳み傘はカバンに入れてるし……」
「おや……」
状況はまたもや先程のどんよりしたものに戻ってしまう。バイトくんはふらふらとカウンター席に座ると、また突っ伏してしまった。
これはなかなかに根深そうだ。
私はやれやれとカウンターに入ると、ベルをチリンチリンと鳴らした。そうするとキッチンからリンゴジュースが届き、それをバイトくんの傍にそっと置く。
氷多めだから、きっと、ううん、絶対に美味しいですよ。なんて思いを込めて。
「要は、なんでその女の子と相合傘したいのかってことなんじゃないですか?」
「……なんで相合傘したいか?」
「はい。理由です。相手に気持ちを届ける為には、こちらの心の内をはっきりと明かした方がいいかもしれません」
「…………でも、ダサくならねぇ?」
「言い方や態度の問題ですよ。サラッと言っちゃえばいいんです」
私の言葉に、バイトくんの姿勢がじわじわと正しくなっていく。やっぱり彼は小型犬のようだ。
「実はあなたとこうやって相合傘したかったから、傘忘れちゃったんです。とか」
「おおうおう……。スマートだ……」
「下手に隠すよりは良いかと。でも相手を選ばないと大事故ですけどね」
「それは、まぁ、うん。相手との関係性は大事だな」
ぶつぶつ言いながら、ずずっとリンゴジュースを飲むバイトくん。私も喉が渇いてきたから、アイスココアでも飲もうかな。
「今度トライしてみるか……」
「相合傘したいお相手がいるんですか?」
「へっ?あ、いや、その、したい奴が出来たら、な!」
カランカラン、とリンゴジュースに入っていた氷が音を鳴らす。その音は、やけに喫茶店に響いた。まるで、ジメジメとしていた空気を晴らすような音。
外はまだ強い雨が降っているし、おそらくまだ数日はこんな天気だろう。でも、そんな淀んだ天気だとしても、心まで淀む必要はどこにもない。それに、例え心にまで雨が降ってしまったとしても、傘を差せばいいのだ。誰かを思った傘なら尚更、素敵な色を添えてくれるはず。
「ところで店長、湿気の撲滅テクとかない?」
「ありません」
「くっそ〜……」
当店に除湿機、置くか検討してみましょうか。来週辺りに梅雨は明けてしまいそうだけれど。