「私と、雨宮さんの……こと。……秘密にしてくれる?」
千歳先輩は私の目を見ながら、ゆっくりとそう言った。喉がカラカラに乾いて上手く言葉が出てこない。すると、千歳先輩が私の頬に添えていた手で、肩まである私の髪をさらりと耳にかける。そうして体を離すと、首を少し傾げて目を伏せた。その仕草はまるで女神様みたいで、思わず泣いてしまいそうになる。
多分、私もさっきの雨宮や千歳先輩と同じ顔してるんだろうな。見た事ないくらい赤くて、泣きそうで、怒ってそうな顔をしてると思う。それが悔しくて、嫌だ。
「……秘密にするもなにも、何、してたんですか」
ようやく出た言葉は、自分で思ってる以上に怒りを含んでいて。この怒りは何に対してなのかは、今はまだよくわからない。
「何、って。……見てたんでしょう?」
私と雨宮さんの、キス。
「……!」
さっき見た光景がすぐ脳裏でフラッシュバックする。
やっぱり見間違えた訳じゃなかった。雨宮と千歳先輩は、なんで、そんなこと。
状況を理解はしても、意味は分からない。もうどこから突っ込めばいいのかさっぱりで、逆に頭が冴えてきた。
「……ええと、見てましたけど。二人はどういう関係なんですか」
「そうね……。まだ、私の片想いかな」
「まだ?」
「告白したんだけれど、振られてしまって」
「はぁ……?」
ほんとどこから突っ込めばいいのか。これは現実なんだろうか。
ただ、目を伏せて話す千歳先輩は、どこか寂しそうな気がして。それが冗談ではなく本気だという事は伝わった。だから余計にタチが悪い。冗談なら馬鹿な事するんじゃないと責められるけど、そうじゃないならどう返していいのかわからない。
「でも、彼女も好きな人がいるっていうから、同じねってなって、それで……」
「それで……?」
「……思わず」
「………………いやいやいやいや」
「だって彼女に、あなたは好きな人とキス出来たら嬉しい?って聞いたら、そりゃあ嬉しい、って返ってきたの!だから、だからせめてものって、お願いして……」
となると合意?でも思考回路が意味不明だ。確かに雨宮はクラスメイトのサッカー部員の事が好きって言ってたけど、それは男であって……。あぁもうややこしい。この際男女がどうのこうのは関係ないものとしよう。だって、
「千歳先輩は雨宮の事好きだからキス出来たら嬉しいでしょうけど、雨宮からしたら好きでもない人からキスされたんですよ!?」
私の言葉に千歳先輩は目を見開く。
「当たって砕けろ精神か冥土の土産精神だったのかもしれないけど、好きならちゃんと相手の気持ち考えてあげないとでしょ!」
ポロ、と大きく開かれた目から涙が一粒零れる。憤る自分の心とは裏腹に、涙を純粋に綺麗だと思ってしまった。
「うぅっ……だって、雨宮さんのこと、本当に好きで……!」
「好きなら尚更、傷つけちゃダメでしょ……」
その場で嗚咽を漏らしながらペタンと崩れ落ちた千歳先輩。隣にしゃがみこみ、背中を摩ってみる。
多分この人の愛は少し歪んでしまってるのかもしれない。真っ直ぐすぎて、逆に。それに、これだけ真っ直ぐ誰かを好きなれるのは正直羨ましい。私もそれなりに好きな人が出来たことはあるけど、別に告白しようとまではなった事ないし。
泣き続ける千歳先輩の背中を何度も摩りながら、そんなことを考えて、それからぼうっと雨宮の事を思い出す。あの子の方は大丈夫だろうか。今頃雨宮も泣いてるかもしれない。様子見に行かなきゃ。
丁度それを見計らったかのようにポケットの携帯が揺れる。背中を摩る手はそのままにして、もう片方の手で内容を確認した。
『保健室』
生徒会室で聞いた答えが今返ってくるとは。でもまぁ丁度いい。保健室はここからそう遠くはない。
「じゃあ……私、雨宮の方行くんで……。目が腫れちゃうから、あんまり擦ったりしないでくださいね」
最後にポンポン、と背中をあやす様に軽く叩いて。よいしょと立ち上がろうとした途端、突然視界がぐらりと揺れる。揺らしたのは他の誰でもない、千歳先輩だった。腕を引き寄せられ、がくんと膝をつく。慌てて千歳先輩の方を向くと、想像以上に顔の距離が近くて息を止めた。良い匂いがふわっとして、それはどこかで嗅いだことのある、花の匂いだった。
「沙羅さんは、好きな人いるの……?」
突然の質問にはてなマークが頭の上で飛ぶ。
「え、や、い……いないですけど……」
「……なら、協力してくれないかしら」
「協力?」
「私の味方になって」
味方、とは。
私の問いは、言葉になることなく消える。聞こうとする前に、ふわっと体が千歳先輩に包まれたからだ。抱き締められたのかと理解するのに数秒かかった。まるで世界がスローモーションになってしまったみたいに、思考も何もかもが置いてけぼりだったから。
「お願い、雨宮さんは私にとっての女神様なの……。離れたくない、嫌われたくない、でもどうしたらいいのかわかんない……!」
あぁ、いい匂いだなぁ。
「こんなこと、誰にも言えないのに、あなたは、沙羅さんは、笑わずに聞いてくれた……。だから……」
力強く、強く、背中に回った腕に力が込められるのを感じる。私はゆっくりと千歳先輩の背中に腕を回した。そしてさっきみたいに優しく摩り、長くて艶やかな黒髪に頬擦りをする。
平和でいたかったけど、暑すぎるのは困るから。だから、可哀想な秘密に、味方してあげようと、思った。