鶴野です。

色んなことを考えていたら、ずっと思ってたことがふつふつと降ってきたので、ここに記しておきます。
これはあくまで私の記録みたいなものです。







言葉は尽くせば尽くすほど、返ってくるものがあると信じている。
けどその返ってくるものは、100%望んでいたものである確率は極めて低い。

それがなぜなのか?

当たり前である。
人によって『普通』の概念が違うからだ。

じゃあなぜその普通の概念が違うのかといえば、それも明確だ。

生まれてきた環境、見てきた世界、感情、全てが同じものなど存在しないからだ。

例えば林檎が好きだったとしても、別の人はなにか過去に林檎にトラウマを持っていたかもしれない。
そうなると、林檎が好きという人に共感というものができなくなる。
そこから少しずつ感情の差が生まれ、言葉のすれ違いとなる。

好きな人が皆異なるように、嫌いなものも異なる。
そこを痛感させられるのは言葉だし、そこの溝を埋めるのも、言葉だ。

炎上と呼ばれるものも、これに該当する場合がある。
きっとこの発言をしなければ、こんなにも批判や意見という言葉は来なかったかも知れない。
もう少し言葉を変えていたら、そんなにも鋭い言葉が返ってくることはなかったかもしれない。

感情と言葉の露出というものは非常にギリギリのラインで行われている。

露出すればするほど、たくさんのものが返ってくるからだ。

いっそ、言葉や感情は出さない方が、傷つくことは格段に減ると思う。



冒頭に少し戻る。

言葉の受け取り方が違うなら、普通が違うなら、感情の共有は難しいのではないかと思う人もいると思う。
実際難しいが故に対話を放棄する人だっている。それも生き方。

だが、きっと人は寄り添える生き物なのだ。
動物が鳴き声や体温で寄り添うように、言葉でも寄り添うことは存分に出来る。

理解は出来なくても、寄り添うことは出来る。




感情も言葉も露出しない方が平和かもしれないが、私は死ぬまでずっと、ずっと、全面に出していきたい。
たくさん人がいる場では空気を読むことしか出来ないけど……。(笑)


それでも、言葉を発したい。


こうやって文字で、声で、伝えたい。


たくさん言葉を尽くすことで、たくさん批判も来るかもしれない。
反感を買う確率も格段にあがるかもしれない。いや、あがる。

でも、私の感情や言葉で少しでも誰かが優しい気持ちになれたり、幸せになれたり、プラスの感情になれたなら万々歳なんだ。

私は言葉を紡ぐのが大好きで仕方ないから、伝えていくだけ。

受け取ってくれる人がいる限り、受けて止めてくれる人がいる限り、強くあれる。

それが私の幸せだと思う。



ただ、これを見てくれている人にいくつかお願いをしたい。

まず、私の感情や言葉を全力で受け取ってくれようとするのは非常に嬉しいけど、自分の今の器に当てはまらなかったり、溢れてしまいそうになったら、むしろ受け取らないでもらいたい。

人には見なくてもよかったこと、聞かなくてもよかったことがある。

私の言葉全てを受け入れようとして、自分が苦しくなってしまっては本末転倒。

苦しくなった時は、悲しくなった時は、まず自分を優先させてあげてほしい。

それに、受け止めすぎて自分を改革しようと思いすぎるのもやめて欲しい。

人間そんなすぐ変わらんて!安心して!ここに変わらない人間がいるから!!

だから、確かにそうだなぁって、変わりたいなぁって仮にも思った人がいたとしても、徐々にでいいし、無理は絶対するな。

1番危ないのは過度な自己嫌悪だと私は思っている。


まぁ絶対そう思ったから!って強く思えるのなら止めない。


うーん、つまり、わからない話はわからないままでいい、無理に理解しようとしなくていい、わかる話だけ、わかると思えばいい。
わからないと思えるだけ偉い。
知らないと思えるだけ偉い。

ぼんやりと、ぼんやりと、私の言葉を受け止めてくれ。

それに、私が100%正しい訳では無い。
こういう考え方の人間もいるんだなってくらいだし。


幸せもそんなものさ(?)



楽に、楽に、お互い助け合って生きていこう。

ずっと幸せではいられないけど、そんな時こそ言葉で助け合おう。

笑顔で笑い合おう。


毎日生きてて偉い。私もみんなも。













おやすみ!

(読み返してないし推敲してないので乱文すまぬ許せ)