当店にはよく泣きながらご来店されるお客様が来る。まぁこのお店の都合上そうなるのもわかるけれど、今回のお客様は少しばかり大変そうだ。
「何か飲まれますか?」
 カウンター越しに尋ねてみても、返ってくるのはただ泣いている声と鼻水をすする音。うーん、これは困った。どうしよう。どうしよう?


 私はお花が好きで、季節に合った花を店内に飾るのが趣味のひとつである。今日も昼に開店してからというものの、さほど忙しくもなかったので、小さな鉢植えに可愛く咲いたサクラソウにジョウロで新鮮なお水をプレゼントすることにした。
 元気になあれ。可愛くなあれ。
 お花に言葉が通じるのかはわからないけれど、ついつい話しかけながらお水をあげてしまうのは、我が子のように可愛がってやりたくなる母性か何かだろう。男に母性……?父性かな……?

 すると、突然勢いよくお店のドアが開き、これまた勢いよく誰かが走ってきたと思えば、カウンター前の椅子に座り、突っ伏して泣き始めた。
 これこれ、開けたドアはきちんと閉めなさい。という父性も程々に、開いたままのドアを閉めてカウンターに入る。とりあえず、話しかけてみよう。
「いらっしゃいませ」
 恐らく10代後半の男の子と思える見た目からわかるのは、もふもふの茶髪くらいだ、あとは……着ている服のセンスが独特だなというくらいかな。その蛍光ピンクのTシャツはどこで買ってきたんだろう。
「何か飲まれますか?」
 幾度話しかけても頑なに突っ伏して顔を見せてくれない彼に、私はどうにか出来ないだろうかと考え込む。理由を聞き出せればよいのだけれど、これはしばらく落ちつくまで待つしかなさそうだ。参ったなぁ。
 やれやれとカウンターに頬杖をつき、泣いている彼のつむじをちょんちょんとつついてみる。反応はない。変わらず泣いている。でも何度かつついてみると、少しずつ泣き声が小さくなっていった。なぬ、つむじにボタンでもあるのかもしれない。
「……私はね、虫が苦手なんですよ。いかんせん、あの方達とは意思疎通が出来ない。私が動かないでと頼んでも、完全に無視してこちらに向かってくる。動かない方もいますが、それはそれで、ここは私の店なのだから不法侵入ですって説明しても動いてくれない」
「……」
「そして、私が特に苦手なのは、泣き虫さんです」
「……」
「泣き虫さんはどうすればいいのか、困ってしまうんです。元は人なのだから、叩くなんて絶対に出来ません。そして、私はお花が好きです」
「……」
「なら、苦手な泣き虫さんを、朗らかなお花のように笑顔にできれば、私もあなたも幸せになれると思うんですよ。いかがですか?私にお花のような笑顔を、見せてはくれませんか?」
「だぁぁぁっ!!なんだよそのクサいセリフ!!聞いてて鳥肌たってき……」
 ずっと黙って私の話を聞いてくれていたかと思っていた彼が、突然ガバッと顔をあげた。やっと見れた彼の顔は、それはもう涙でぐしゃぐしゃで、目も赤く腫れて痛そうだった。その目を大きく見開いて、私を見ている。間抜けに開いた口は、少し面白い。
「だっ、誰……?」
「……?なんでもない喫茶店の店長です」
「はぁっ!?俺は自分の部屋に入ったはずじゃ……!?」
「ここは喫茶店ですよ、何か飲まれますか?」
「えっ、あ、じゃあ……リンゴジュース……」
「リンゴジュースですね、かしこまりました」
 カウンターの端にある小さなベルをチリンチリンと鳴らせば、奥のキッチンからグラスに注がれたリンゴジュースが出てくる。それを彼の目の前にコースターと共に置けば、カランと氷の音がした。そして目を見開いたまま、ストローからズズっと1口。
「美味い……。じゃなくておいぃぃっ!」
「店内はお静かにお願いします」
「すいません……。って、ぐっ!ぬぬ……!!」
 大きく頭を振って店内を確認しては、眉間にシワを寄せまくり、時折リンゴジュースをズズっと飲む。そんな彼は見事に周囲を警戒してる小型犬か何かに見えて、まぁまぁ落ち着いて、と少し宥めてはぬくぬく温かいおしぼりを差し出した。
「これで顔でも拭いて、とりあえず何があったのか話してはみませんか?私はただのなんでもない喫茶店の店長。あなたに危害を加えるなんて絶対ないと約束しますし、いっそここは夢かなにかだと思って、ね?」
「……ま、リンゴジュースはリアルに美味くて気味悪いけど、夢だと思えば納得できるか……。それにどうせ、俺は、俺は……」
 また瞳をうるうるさせ始めた彼をどうどうと落ち着かせる。そのまま何度か深呼吸してもらったら、ポツポツと事の顛末を話し始めてくれた。
「俺には初恋の女の子がいて、小学校から大学まで一緒だったんだ。好きなの自覚したのは今日。心理学の授業で……」
 話をまとめると、幼なじみの女の子と大学の心理学の授業で隣になり、心理学のひとつとして隣の人と心理テストをし合うという内容で彼女は好きな人の名前に自分を挙げた。今思えば小学生の頃から彼女以外の女の子を可愛いと思ったことはなく、そうか、これが初恋か、と意を決してそのまま「俺も好き」と言うと、「ごめん私は恋愛としてではない」とあっさり断られたのだという。初恋にして大失恋だったのだ、彼にとっては。
 話せば話すほどヒートアップしていく彼に、私は何度途中でリンゴジュースを飲むよう促しただろう。恋は人を盲目にさせてしまうとはいうが、ここまでとは知らなかった。
「俺の初恋は!たった数分で終わった!!あんな思わせぶりな事しておいて!!俺は遊びだったんだ、どうせ!!」
 一通り話し終えて少しすっきりしたのか、彼はズズっとリンゴジュースを最後まで飲み切っては大きくぷはぁっと息を吐いた。やけ酒じゃあるまいし、というツッコミは心の中で控えておく。
「なぁっ、店長はどう思う?俺の初恋は虚しいと思うか?」
「虚しいだなんて、とんでも。むしろとても素晴らしいと思いますよ」
「素晴らしくは……ねぇだろ」
「そうでしょうか?初恋は実らないと世間では言われますし、あなたの初恋はとても真っ直ぐで、純粋で、最初から最後まで素敵だと思いましたよ」
「……あんなすぐ終わったのにか?」
 こてん、と首をかしげて尋ねる姿は、やっぱり小型犬かな。
「はい。恋は長さではなく、密度ではないのでしょうか?それに、終わった恋だからといって無駄なことなどひとつもありません。あなたのあの瞬間のすべてが、あなたの経験になって、幸せに繋がるんですよ、きっと」
 そこからしばらくお互い無言で見つめあって、先に彼の方が耐えきれなくなったのか、下を向いてグラスに残った氷をストローでぐるぐる回した。さてさて、と私も自分用のココアを作り出す。しばらくしてアイスココアが出来上がり、ズズっと1口飲めば店の窓際に置いてあるサクラソウが目に入った。そういえばあの花の花言葉って……。

「ありがとな」
 氷がかき混ぜられてグラスにぶつかる音、ココアを飲む音、壁時計の音、それだけが満ちていた店内に、小さな言葉が広がる。その言葉の方に目を向ければ、申し訳なさそうな彼が、こちらを見ていた。
「いえ、私は何もしていませんよ」
「いや、その……。話したのがあんたでよかった。なんつーか、もう絶対立ち直れねぇ、世界の終わりとか思ってたけど、……頑張れる気ぃしてきた」
 世界の終わりって、あなた……。でも、笑えたのならよかった。彼の初めての笑顔は、それはそれはもう綺麗なお花のような笑顔。それが見れただけでも、私は満足ですよ。
「つーかその、ここってバイト募集してたりしねぇ?」
「へっ?」
 急な問いに思わず変な声が出た。どうしてそうなった?
「あんたさ、モテそうじゃん?さっきも聞いてて思ったけど、クサいセリフ平気で言うし。だから修行というかさ、そういうのしてぇなって」
「ここはアルバイトは募集してませんよ」
「そこをなんとか!給料はなんならいらねぇし!週一でもいい!俺は虫退治もいける!」
 ……その話、乗りましょう。ええ、乗りましょう。決して虫が理由ではありません。少しくらいこの店内にも賑やかさがあっても良いだろうと思ったからです。

 というわけで、当店に週に一回、日曜日にだけアルバイト、と言うよりお手伝いさんが1名来ることになった。給料はその日の昼ごはんとドリンク飲み放題。本当にそれだけでいいらしい。そんなにもモテたいのかわからないけれど、大丈夫だろうか?あいにく私はモテたことがない。職業柄というのを理由にしているが、告白されたことも大してないのだ。
 はてさて、彼のお見本になれるかどうか。わからないけれど、楽しくなりそうだ。

 あ。そういえば彼の名前、聞くの忘れてたな。