小さい子、殆どがそうですがピアノをお稽古事として習っているこの場合、楽譜を読めることというのが大きな課題になります。また、親御さんもどんどんピアノなり楽器を演奏してほしいし、学校の朝会や学習発表会の合奏で、折角ピアノをやっているんだから競争率の高いピアノ伴奏をしてほしいというのは、正直な親心でしょう。
そういう、場合は絶対的に楽譜が読めないといけないわけです。楽譜を読めなくても合奏のその曲は弾くことは出来ます、でも練習で急に『ここからお願いします』と言っても即対応と言うのはできませんね。
これが、有名ミュージシャンだったら?
実は、キーボード奏者の喜多郎氏は楽譜は読めません。
私の知っているかたで、喜多郎バンドにいた方がいたのですが、一度聞いてみたことがあります。
『喜多郎さんて、楽譜読めないってホント??』
『ほんとだよ~』
彼の頭の中には、いろんなパートの楽譜がインプットされているのです、それを実際のツアーではギターやドラムやベースやピアノで合わせてゆくのです。
そんな、喜多郎ワールドですが、やっぱりリハーサルで急に途中からというのは難しいようです。ほかのメンバーたちは楽譜が読めるので、番号いくつからとか、何小節目からといえば、譜面をめくれば出てくるのですが、喜多郎さんからすると意味不明になってしまうのでしょう。ですから、途中からということはなく、いつも練習は曲の最初からだったそうです。まあ、かなり昔の話ですから、今はどうなのかはわかりません。
私も、軽度の発達障害を抱えたお子さんや、楽譜を見ると平面と立体と2次元と3次元が混乱してしまいそうなお子さんには、最初から楽譜を読むということはしません。そのうちに読めればいいわけですし、混乱するのであれば、混乱しない方法がどこかにあると思うからです。そういうときに親御さんにお願いすることは、種が自分で芽を出すまでしっかりと水を与えましょう。ただそれだけです。いつも子ども達に教えていることとは全く違ったことを教えているかもしれません。リズムがわからなくてもドレミが読めなくても、みんな鍵盤認識だけはしっかりあるのでそれを上手く利用しています。鍵盤認識さえ出来てくれれば、こちらのもんです。
それは、意外と成人の方で、初めてピアノを弾くという方にも当てはまるのです。かつて還暦を過ぎた男性で『エリーゼのために』をお引きになりたいという方は、それで一念発起で念願を達成することが出来ました。
『冬のおわりの回顧録』でも書きましたが、チルチル座のこまどりたちは殆ど楽譜は読めません。かろうじて栃子だけがバイオリンを弾くのですが、それも”マクドナ~ルド”しか何故か弾けないんです。
でも、3人のこまどりはしっかり楽譜を見て、リコーダーアンサンブルをやり遂げましたよ。ちるこは、ソプラノリコーダー、栃子はアルトリコーダー、すえこはソプラニーノというパートをこなしました。もちろん本人達の頑張りが一番大きいです。次に指導してくださった東京ポルチカ歌劇団のイマムラ氏でしょう。でも、それよりもなによりも大きいのが本人達の音を聞いた耳の感覚と、リコーダーを触った運指の感覚なんです。
きっと何度も何度もやっては誤りに気付きそしてもう一度・・・・となんども繰り返したのだと思います。
結局、それなんです。そして、自分の弱点や好きなところは、そこのところだけ何度も練習したりするでしょ?
それなんです。
彼女達は、自分達の弱点をそれで克服していったのです。
楽譜は読めるに越したことはありません。でも、読めなくても条件によっては大丈夫です。
私は、子ども達を教える立場から、楽譜は読めるようには指導しますが、読むことにこだわりすぎてがんじがらめにするのはよくないと思っています。いろんな楽譜を読んでゆくにはいろんなスキルがそこには必要なので、楽譜と認知感覚とを結びつけた楽譜の読み方ができるように考えています。
そうです、歌が好きでもいわゆる音痴(この言葉は非常に嫌いですが)の人もいますよね。私の父もその部類に入るんではないかと思うのですが、とても歌うことが好きです。父は楽譜は読めませんしかし、歌うしかも人前で歌うことが好きなんです。娘としては激しく迷惑なのですが、友人は喜んでピアノを弾いてくれました。するとどうでしょうね、上手くはなくとも、人の心には響くんです。
友人は『おじちゃん(父のこと)すっご~くいいよ、もっとここの言葉はもりあげてもいいよ~』
と、言う具合に、ピンポイントでアドバイスをしてくれているんですね。
多少・・・・いや、かなり音程が外れていたのかもしれないのですが、こうした一言が脳によい活性化を与えているのかもしれません。
こうして、指導者としての一面を抱える時には、楽譜が読めなくても、あまり好きでない言葉ではありますが音痴の人とも
脳によい活性化の指導なり言葉かけなりがいつでもできるような人間でありたいと思っています。