みかん畑と生きた夫婦 | つりざんマンの日記

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小さな食料品店の5代目。63歳の時、身体を壊しリタイヤ。幼少の頃から魚釣りが好きだったが、最近はカメラで鳥を追っている。自然が大好きなヨレヨレジジの日記です。

大長みかん買いに安芸灘大橋を渡った。


(大平山からの展望)
安芸灘大橋がまだなかった頃は
フェリーで渡って釣りに来ていた。


ハゲがよく釣れたな。


夕まづめの30分勝負で尺アジも釣れた。


遠い昔の思い出である。

そんな昔から毎年通う大崎下島のみかん農家がある。


「母さーーん! また来たよ!
あれ? 父さんは?」


「去年、あんたが来た後、死んだ。」
「ウッソーーーっ! 」

(昨年の写真)
とても仲の良い夫婦で子供達はみんな優秀。孫娘は一発で東大合格した。
ここ数年は寄る年波に勝てず夫婦が交代で入退院を繰り返していた。
「オヤジさん何歳じゃったん?」
「90歳になったとこじゃった。急にしんどい言うての救急車呼んで病院行ったが1週間での・・・・。」
「母さん、まだ働くん?」
「次男が手伝どうてくれとる・・ワシャこないだまでまた入院しとった・・いつの間にか88になってしもうたわい。」
「あんた早稲みかんが好きじゃったの・・」


「んっ。 そがぁ〜〜にいらで!」
「母さん! みかんが終わったらちいと休みんさい!」
「休まりゃせん、畑を休ましたらエエみかんは出来ん、生きとるうちゃ働くで。」

(春のみかん花)
「・・・母さん、来年もまた来るけぇ・・・。」

(日照りの夏の水やり)
「・・・うん、また来てよ。」

(労の結晶笑顔の秋)

10年前に通っていた能美島のみかん農家を思い出した。
ご主人がガンを宣告され、残す家族の労作業を心配し、夫婦で育てたみかんの木を弱る身体でチェンソーで切り倒した。


奥さんが「木を残せ!」とすがって泣いたと・・。


みかん畑は家族の命をつなぐ大切な宝物なんじゃね・・・。


ご主人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


ほいじゃまた!♪