「ピンピンころり」の二千歩散歩 | つりざんマンの日記

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小さな食料品店の5代目。63歳の時、身体を壊しリタイヤ。幼少の頃から魚釣りが好きだったが、最近はカメラで鳥を追っている。自然が大好きなヨレヨレジジの日記です。

親戚のお盆の墓の後片付け。

我が家から裏山へ登る坂道散歩。



この道を「観音道」と呼んでいたが、いつの間にか「観音通り」と名付けられた。


ワタシとしては真実が消されて行くようで気にいらん!

裏山は「極楽寺山」と呼ばれているが、この山は先祖代々から「観音山」と呼んでいた。1人残らずだ。

年に1度「観音さん」と言う祭りがありこの観音道に屋台がズラリと並んだもんだ。
700歩で墓に到着。


豪雨で、どの墓の飾り物もぐちゃぐちゃ。


灯篭や塔婆をテキパキ片付け、散歩の続き。

裏山から流れ出る千同川と倉重川はひとつになり三筋川となる。


1つ目の段落ちと


2つ目の段落ちを「ドンドン」と呼んだ。


この2つ目のドンドンの高さは昔は150㎝あり淵になっていた。
夏は毎日泳いで遊んだもんだ。
海からの遡上鮎がこのドンドンを登り切れず淵にたまっていた。
あの頃、友釣りで鮎を掛けたらワシャ村のヒーローだっただろうに・・ガハッ!


この川の本当の深さは、もう1mほど深かったが豪雨の度に山砂で浅くなっている。


近くの八幡川も浅くなっていたが、今は魚切ダムが出来て浅くはならない。
だがそのダムは砂で浅くなっている。

千同橋から下流を真っ直ぐに見ると宮島だ。


昔、この千同橋の上で大人達が「おかげんさん!おかげんさん!」と叫んで火の藁(わら)を振り回した。
宮島の管弦祭の日だった。


日本の祭りの起源は「人間の自然への感謝」の思いが始まりだろうか・・。
お盆は目蓮尊者が餓鬼道に落ちた母への思いから始まったと言うが・・。(盂蘭盆会)

自然への感謝。
先祖への感謝。
年を重ねる度にそんな思いが強くなる。

目指せ!
「ピンピンころり」の 二千歩散歩。


ほいじゃまた!♪