この頃つくづく思う。



やっぱり「年齢」というものは、たかが数字であり、されど数字であることを。



ハロートークなどをしていると、やはり年齢で相手の反応が変わるのをつくづく感じる。


もちろん、自分の顔などをはっきりと公開してはいないから、余計にそうなのだろうとかんじることもある。



確かに日本人に比べたら欧米の人のほうが年齢に寛容なのは確かだろう。

だが、やはり露骨に年齢を表示する場では、どうしても人間の心情として自分の年齢に近い人などを選んでしまうものなのだろう。



自分で言うのもなんだが、私は嘘がつけない人間であり、年齢なども素直に公開してしまう。

でも、この歳になると正直に後悔しないほうが自分にとってはメリットなのかもしれないなと思い始めた。同時に出会いの幅も広がるのではないかと。



私はずっと怯えているのだ。

年齢で判断されること、年齢という負い目に。


だが、気にしてほしくない自分が結局一番気にしてしまっているというわけだ。


一方で、もし年齢がわからないまま相手を好きになったりすれば、結局それが「年齢」と言うフィルターに縛られないその人の魅力と言うことになるんだろう。


つまりは、私が目指すところはそこなんだと思う。

もしも年齢を伝えて引かれたのなら、それこそそれまでの話なのだ。

これからは、「年齢」ではなく「私自身」を好いてもらえるようになりたい。年齢という呪縛に縛られない生き方ができるようにすると決めたのだから、自分自身が囚われていては話にならない。


これも、日本の社会が何かにつけて「年齢」を表示させる社会だから、それが未だに抜けていないが故なんだろう。



それと同時に、年齢を表示していて感じることだが、やはり私くらいの年齢は既に子持ちで、小学校高学年だったりすることも珍しくはないわけだ。実際、私の年齢の頃の母には既に10歳の私がいたわけで。


そこで思ったのだが、自分が今後将来を考える相手として、例え離婚歴があったとしても、子持ちの人は無理だな。と言うことだ。



自分の親のことを思い返しても、やはり自分の親の恋人やパートナーと言うものは受け入れ難いもので、未成年のうちであっても、普通に自分を愛してくれた親だったのであれば、自分の血のつながらない存在を素直に『親』と認めることはかなり難しいと思う。同時に、自分自身が、パートナーの子どもを受け入れられる程の余裕は私にはない。

自分が欲しかったのに、パートナーにはパートナーの血を継いだ、他の女性との間に生まれた子どもがいる。それほど悲しいことはない。


お互いに子なしで、養子を迎えるとしたらまた話は変わってはくるが、やはり子持ちの人を将来のパートナーに選ぶことは私にはできない。

それを考えると改めて、年齢を晒すメリットはないんだなと感じた。


年齢を晒すのは、成功してからでいい。