私が小学生の頃、北九州市小倉の小学校は遠足で「青の洞門」に一度は訪れたものです。ふと懐かしく思い、先日小倉に戻った際に、家内と二人で「青の洞門」に
再訪してみました。
「青の洞門」とは、禅海和尚が手彫りで作ったトンネルのこと。
地元では有名な『青の洞門伝説』が語り継がれています。青の洞門の伝説 (偕成社発行の大分県の民話を要約しますと、)
昔は、「樋田」という地域から「青」という地域へ行くためには、大分県・山国川の上にそそり立つ岩壁に沿って作られた細い道を通らなければならず、岩壁に張り付けられている鎖を命綱にして渡っていたそうです。
(この場所を「鎖渡し」と呼ぶびます。)
この鎖渡しでは、足を滑らせて死ぬ村人が後を絶たず困っていたところ、一人の旅の僧が現れ、ノミを振るい始めます。名前は「禅海和尚」。
禅海和尚は若いころ、悪い仲間と共にケンカをしたり、物を盗んだりしていました。そして、もののはずみから人を殺してしまいます。その後、母の死で目が覚めた禅海和尚は、罪を償うために僧となり国中を巡っていました。その途中に橋渡しのことを耳にしたのです。
禅海は、雨の日も風の日も休むことなくノミを振るい続けます。とてつもなく無駄な作業を続ける禅海和尚に、村人たちは呆れてしまいます。それでも念仏を唱えながら、自分が人を殺してしまったことの罪償いとして一心に掘り続けます。
最初は、ほんの小さな岩穴だったのが、徐々にと深く大きな穴となりました。
1年、2年、3年と月日がたちますが、禅海は一心にノミを振るい続けます。
いつしか村人たちも心うたれ、手伝う人たち増えてきました。
やがて26年の年月が流れたある日のこと、一人の武士がこの岩穴にやってきます。この武士、禅海が若かりし頃に殺した者の息子・実之助。父のかたき討ちのために禅海を探しまわっていたのです。
禅海は実之助に言います。
「この四十年間、あなたの父上を殺した罪に苦しんできました。その罪ほろばしのために穴を掘り続けているのです。もう少しです。あと三年、命を貸してください。この洞道ができましたらいつでもあなたに討たれます。どうかお願いします」
そばで見ていた村人も、禅海の三年の命乞いをして工事を続けることとなります。
この後、今まで以上に一心に穴を掘り続ける禅海。村人たちも、懸命に工事の加勢をします。禅海を見張っていた実之助までも、早くかたきを討ちたい一心から手伝い始めます。
いっしょにノミを振るううち、禅海の真心が実之助の胸に響き、禅海への憎しみが薄らぎ、洞道を掘ることだけに力が注がれていきました。
そして、実之助が来てから3年目、禅海がノミを振るい始めて30年の月日がたった頃、禅海の打ったノミの先に、ぽっかりと小さな穴があき、その穴からは月灯りと共に山国川の静かな流れが禅海の目にはっきりとうつりました。
禅海は、30年間という月日をじっと噛みしめるかのように静かに目を閉じます。やがて目を開いた禅海は、実之助の手をしっかりと握りしめました。また実之助も、禅海の手を握りしめました。二人は共に涙を流し、憎しみも、苦しみも、悲しみも、すべてが山国川の流れの中に流れ去っていきました。
こうして、青の洞門は開通したのです。
この話、当時の大分県や福岡県の小学校では、道徳の授業の題材となっています。
さて、青の洞門に到着した私たちは、入り口手前の駐車場に車を止め、
トンネル内に侵入!
すると、
『禅海和尚の手掘り跡 青の洞門の明かり窓』 の案内板。
矢印通りに右に曲がると、
手掘りのトンネルが奥へと続き、陽が差し込む窓(穴)が見えます。
近づくと、
このような大きな窓と山国川。
さらに奥に進むと、
ノミとツチで岩を掘る『禅海和尚の像』。
その横には、お地蔵さん。
トンネル部分は全長144mととても長いトンネルでした。
これを手で掘り進めたのですね。(-_-;)
そして、このような看板を見つけていましたので、
今から『羅漢寺』に寄って帰ることにします。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:青の洞門〔禅海和尚・手彫りのトンネル ~ 大分県中津市本耶馬・・・
「神社」と「滝」に癒されるらしい家内。 この日のリクエストは『原尻の滝』。
「東洋のナイアガラ」または「九州のナイアガラ」とも呼ばれており、
「日本の滝 百選」にも選ばれています。
ということで出発!
我が家から高速を使って2時間半と長い道のりです。
大分県南部ではよく耳にする話ですが、ここ『原尻の滝』も約9万年前の阿蘇山の大噴火による火砕流で
地形が変化することで形成されたそうで、幅120m、高さ20mの巨大な滝なのです。
到着した私たちは駐車場に車を止めます。 すると、
駐車場のすぐ横に、大きな水車。 ほのぼのしたいい風景ですね。
そして、駐車場前の道を渡るとすぐに吊り橋があります。
その吊り橋から滝を見たのが、
この光景!! 想像していた以上に圧巻の光景!! 音もスゴイ!!
吊り橋を渡り切り、
滝の上流へと向かう途中、滝の側面から写真を一枚 パシャッ!
滝の上流の川の中央には、
鳥居が見えます。
そして、滝の真上の遊歩道からの写真。
今まさに流れ落ちようとしている川。
怖いくらいのなかなかの迫力!!
今までに見た滝の中では、最も迫力ある雄大な滝です。
家内にせがまれて何度も各地の滝を見に行きましたが、
今のところ、ここ『原尻の滝』がナンバーワン!!
行く価値あり!! です。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:原尻の滝〔九州のナイアガラ ~ 大分県豊後大野市緒方町原尻〕・・・
「霧島六社権現」のうち、二社めぐった私たち夫婦。
こうなると、六社制覇したいA型の私。
この日は『狭野神社』へと向かうことにします。
霧島六社権現
狭野神社(狭野大権現)
霧島東神社(霧島東御在所両所権現)
霧島岑神社(霧島山中央六所権現)
霧島神宮(西御在所霧島六社権現)
東霧島神社(東霧島権現)
夷守神社(夷守六所権現)
ここ「狭野神社」は、神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)生誕の地として伝えられており、
「狭野」の名はカムヤマトイワレヒコの幼名である「狭野尊(サノノミコト)」に由来しています。
古事記や日本書紀の記述では、神武天皇が初代天皇として即位したのが紀元前660年と言われています。
そして、即位した日を新暦で換算した日が「2月11日」。
そうです! この日を「建国記念の日」として祝日にしているのです。
それも、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく、神話としての位置付けなのですが、
その神話を基に「建国記念の日」を制定するなんて昭和の時代は粋な判断をしたものです。
この話、ご存知でした??? 私は知りませんでした・・・。(-_-;)
ということで、「第一鳥居」に到着!
すると、
『狭野神社 表参道 神前まで 1 KM』 の案内板。
遠い・・・(-_-;)
城跡ならば何キロでも歩く私ですが、拝殿までの 1 kmは長く感じる私。
黙々と歩くこと数分、「第二鳥居」に到着。
この「第二鳥居」から先の参道は、まだまだ続きます。
軽く一礼して進みます。
いかに鈍感な私でも、なんとも神聖な場所のように感じます。
神様の通り道を歩かないように、参道の隅っこを歩きます。
実は、第二鳥居までの参道は、中央を堂々と歩いていました。失敗失敗・・・。
そして、「第三鳥居」に到着。
一礼し、ようやく最後の鳥居をくぐり、
参道をひたすら歩いていると、(もちろん、隅っこを・・・)
『みやざきの巨樹百選』
そして、拝殿に到着。
おごそかに、二礼二拍手一礼。
いつものことですが、神社は何となく緊張してしまうんですよね・・・。
無駄な力みというのでしょうか。
城には無い「威圧感」というのでしょうか。
古よりの歴史の重みが姿勢を正してくれるのです。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:狭野神社〔霧島六社権現③ ~ 宮崎県西諸県郡高原町〕
この日は、我が家から車で約2時間、前々から行ってみたいと思っていた
『鹿屋航空基地史料館』を目指していざ出発!
太平洋戦争の終局間近、特攻隊員が飛び立った基地としては「知覧」が全国に知れ渡っていますが、
ここ「鹿屋」からも多くの特攻隊員が出撃しています。
(映画「永遠のゼロ」によって、鹿屋基地をご存知の方も増えたようです。)
それぞれの基地の当時の歴史に関して、ここでは詳しく記しませんが、
私が以前、「知覧 特攻平和会館」に行ったときに感じたものと、
今回、「鹿屋航空基地史料館」で感じたことは、似て非なるものでしたので、
後ほど私なりの感想を述べたいと思っています。
まずは、簡単に写真でご紹介。
立派な石碑。
石碑の後ろにはヘリコプターが見えますが、その後ろにも数多くの航空機が並んでいます。
館内に入ると、
「零式艦上戦闘機52型丙」が復元されています。
近づいて写真を一枚!
角度を変えて、さらに一枚!
そして、コクピットも!! 驚くほどに狭いコクピット。
ここまでは写真を撮りましたが、このあとからの写真がありません。
と言いますのも、写真を撮ることを忘れてしまっていました。
写真でご紹介したいところ満載の史料館です。
ただ、あまりにも素晴らしい館内の展示や説明に気持ちが入り過ぎてしまい、
没頭のあまりほぼ写真を撮っていない、という2時間でした。
では、私なりの感想。
「知覧特攻平和会館」は、終戦までの数ヶ月間で特攻によりお国に命を捧げた隊員たちの
写真・遺書・遺品などの展示が中心となっています。
当時の若い隊員である『人』にフォーカスしているので、私自身の心は大きく揺り動かされました。
英霊となった先人たちに感謝の念を抱き、そして今の時代を生きている自分自身に反省と自覚を促す
良い機会になりました。
「鹿屋航空基地史料館」は若い隊員たちに関する展示もありますが、特攻で殉じた『人』にフォーカス
しているのではなく、特攻に至るまでの戦争の『歴史』そのものをフォーカスしています。
よって、終戦当時と現代との時間差・距離感が縮まることなく、ゆえに淡々と、ぐいぐいと
引き込まれていったように感じています。
どちらがいい、というものではなく、どちらも私たち現代人にとって必要な歴史的資料であり、
この両者での感覚を味わえたこと、学べたことに感謝です。
もっと正直な感想。
「知覧特攻平和会館」は、私の主観に強く働きかけてくるので、つらくて重くて、
早くこの館内から出たい、逃げたい、と思いながら見学していた私がいます。
「鹿屋航空基地史料館」では、戦争の歴史を客観性をもって理解させてくれました。
ワクワクしながら館内を見学し、あっという間に時間が過ぎていきました。
最後に、最も驚き感動すること!!
「鹿屋航空基地史料館」は、入場『無料』なのです!!
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:鹿屋航空基地史料館〔日本海軍 特攻基地 ~ 鹿児島県鹿屋市西・・・
急用にて、急きょ実家の北九州市小倉にどうしても帰らなければならなくなった私たち家族。
速やかに、急なる所用を済ませた後は、各々が別行動。
そして、帰る前に家内の希望でみんなで立ち寄ったのがここ『門司港レトロ』。
「今さら~~~~~」
と、私と娘は思ったのですが、行ってみると意外に新鮮で面白い!!
ここ『門司港レトロ』は、大正レトロ調で街並みを整備している観光スポット。
外国との貿易で栄えた当時の雰囲気をそのままに、様々な建造物・商業施設が満載です。
「都市景観100選」にも選ばれた情緒あふれる美しい街になっています。
駐車場に車を入れた後、てくてく歩いてレトロ地区に入ってすぐに見えてきたのがこの光景。
『ブルーウィング もじ』と呼ばれる歩行者専用の跳ね橋です。
1時間に1回、このように橋が跳ね上がるようです。
着いて早々に見ることができてラッキー!!
跳ね橋の横で、やかましいほどの大きな声が・・・。近づいてみると、
昔懐かしい「紙芝居」です。
少し歩くと、こちらでは、
『猿回し』の最中!! みんなの笑い声と感嘆の声で盛り上がっています。
写真手前のザルが周辺に7~8つ置いており、お猿さんの演目が終わると、
見物客皆さん、ザルの中にチャリンチャリーンとご褒美を入れていました。
そしてここからは、家族別行動!
家内と娘は「占い」に行くと言います。
ここまで来て占い??? と思うものの口には出さない私。
どうせ私が今から行こうとしている場所にも、この2人は全く興味を示さないことくらいは分かる・・・。
で、まずは、
『旧門司三井倶楽部』 (以下、原文)三井物産門司支店の社交倶楽部として、現在の門司区谷町に建築された。設計者は松田昌平。竣工直後の大正11年にはアインシュタイン博士夫妻が宿泊している。
平成2年3月に国の重要文化財に指定され、同年7月から現在地に移築するための
工事に着手し平成6年12月に完成した。
この建物は木造2階建で本館(洋館)と附属屋(和館)から構成されており、外壁の柱梁の骨組みを外に見せるハーフティンバー形式が特徴となっている。
大正11年、日本での講演のためアインシュタイン夫妻は来日され、
43日間にわたり日本各地での講演を行います。
最後の5日間、この三井倶楽部に宿泊され、門司港から帰国の途についた、とのこと。
『吾々は神に感謝する
吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを・・・』
日本を愛してくれたアインシュタインの言葉です。
そして、ここから歩いて数分の『門司港駅』を目指します。
しかしながら、いつも見ていた門司港駅の姿はなく、このような説明ボードが!
『重要文化財 門司港駅舎 保存修理工事見学デッキ』 だそうです。
工事中までも見学できるのですね。
確かに門司港駅を見に来たにもかかわらず、工事で見ることができないとガッカリです。
ただ、このように工事を見学できれば、逆に得したような気にもなれます。
デッキに上がり中をのぞいてみましたが、何が何だかわかりません。
でも、このような場所を設置してくれただけでも有難いものです。
そしてこのあと、家内と娘と合流。
占いの結果も私からは聞きません。(聞くと長くなるので・・・)
最後に一枚写真をパシャッ!
関門橋も見える美しい眺めでした。
さて、今から4時間運転して宮崎に帰ります。
遠いなぁ~~~ (-_-;)
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:門司港レトロ〔都市景観100選 ~ 福岡県北九州市門司区〕
この日、仕事で「宮崎県えびの市」まで行くことになります。
無類の焼酎好きである私は、以前から気になっていたことが・・・。
えびの市には「焼酎の神様」がいらっしゃる。
その名も『金松法然様』。
なんでも、願い事を叶えてくれるらしいのです。
県外からも多くの方々が願掛けに来るそうで、
かなりの確率で願い事がかなっているとか・・・。
仕事も終わり、我が家に帰る途中、寄ってみました。
こちらが、有難い「法然様」の像。
『金松法然様の伝説』 (以下、現地案内板の原文)法然様はどこからこられた方か知る人はいないが いつのまにか栗下区に住みつかれた坊様であるそうです。この坊様は大変な焼酎好きで「ほうのきく」霊験あらたかな坊様で 村人の苦難や危機を救うて下さいましたが 安永六年九月二十三日往生されました。区民はその徳を慕いて その霊位を金松墓地(現在地)に安置されたそうです。
法然様は死の直前に「私が死んだら焼酎を供えて一つの願を立てろ。必ずかなえてやる。一度に二つ以上の願はかなわんぞ。欲ばりはいかんぞ。」と遺言され、目を閉じられたと伝えられています。
その後法然様は 金松法然又は焼酎法然ともいわれて 今でもみんながその徳を慕いています。
そして、このように焼酎が供えられています。
私も一つだけ願い事をして、家路に着きました。
よーーーく考えてみると、
私は焼酎をお供えしていない・・・。(-_-;)
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:焼酎の神様『金松法然』〔宮崎県えびの市大字栗下〕
仕事が休みの日には、なんだかんだと色々と所用があるもので、
家内と共に時間に追われながら一つ一つ用事を片づけていきます。
そして、ポッカリと時間が空いたときにいつもの妻のひと言。
「神社でも行ってみる??」
『かしこまりました!』 と私。
で、この日は『東霧島神社』。「つまきりしまじんじゃ」と読みます。
この神社も「霧島六社権現」のひとつ。
霧島六社権現
霧島東神社(霧島東御在所両所権現)
霧島岑神社(霧島山中央六所権現)
霧島神宮(西御在所霧島六社権現)
東霧島神社(東霧島権現)
狭野神社(狭野大権現)
夷守神社(夷守六所権現)
建国の祖とされる伊弉諾尊(イザナギのミコト)が主祭神であり、
山上の聖地につながる東門として君臨しています。
まずは、大きく厳かな鳥居をくぐり、
拝殿へと上ります。
この階段、上りづらいのなんの・・・。
実はこの階段、知る人ぞ知る伝説の階段『鬼岩階段』なんです。
また、『振り向かずの坂』とも呼ばれており、願い事を唱えながら後ろを振り向くことなく
登り切るとその願いが叶うといわれています。『鬼岩階段伝説』 〔参照:ひむか神話街道〕
昔むかし、霧島山のふもとの村に、全身が真っ赤、目も真っ赤、もじゃもじゃの髪の毛の間からは、これまた真っ赤な二本の角がニョキと生えた悪鬼が住んでいました。悪鬼はみんながいっしょうけんめいに育てた米や野菜やニワトリを盗み、村人たちをたいそう困(こま)らせていました。宮崎県には、このような神話・伝説がたくさんあるのです。
ところで、この村には長い黒髪をうしろでたばねた、色白のほっそりとした、それはそれはたいそう美しい娘がいました。こともあろうに、あの赤い悪鬼はその娘を気にいり、「俺の嫁(よめ)さんにくれ」と娘の家に何度もお願いに行きました。
すると娘の父親から、「おまえは、悪いことばかりしているから娘はやらん!」
と言われたものだから、鬼は赤い顔がますます真っ赤になり、村の田んぼや畑をめちゃくちゃにしてしまいました。
困った村人たちは、みんなで相談をして、村の守り神に
「悪い鬼を何とかしてください」とお願いごとをしたのです。
すると、ある晩、神さまがあらわれて鬼に告げました。
「お前が望みをかなえたいなら、これまでのつぐないをしなさい。それには今晩のうちに千個の石を使って百段の石段を積むのだ。一番鶏(どり)が鳴く前にそれをやってのけたら、あの娘をお前の嫁にしてやろう。もし、百段積めなかったら、この村からすぐ出ていくがよい」
ある日のこと、夜になったかと思うと、赤鬼はさっそく千個の石をせっせと積み始めました。赤鬼はすごい力持ちだったので、あっと言う間に石を積みあげていきます。これを見た神さまは困ってしまいました。そして、考えた末に東の空をちょっぴり明るくしました。
「コッケコッコー!コッケコッコー!」
一番鶏の鳴き声を聞いて、びっくりしたのは赤鬼です。九百九十九個の石を積み上げ、あと一個で完成というときに夜が明けてしまったのです。赤鬼はがっかりして、山の奥のそのまたずっと奥に入って、二度と出てこなくなったそうです。
では、お参りも終えたところで階段を下ります。すると、案内板。『神石』の由来
要約しますと、
「天地創造の神、イザナギの尊とイザナミの尊が誕生され、そののち夫婦となった二人の神様。
『火の神』をお生みになられたことにより、妻イザナミの尊はこの世を去られます。
イザナギの尊は嘆き悲しみ涙を流します。恋い慕う悲しみの涙が、いずれ凝り固まったのが
この『神石』と言われています。
これが、その『神石』
そして、今後再びこのような悲しみ・災難に世人が遭わないように…との深い祈りを込めて、
イザナギの尊は『十握の剣』で悲しみの涙で固まった石を三段に切ったといいます。
私には、二つに切れているようにしか見えませんでした・・・。(-_-;)
そして、すぐそばに、
樹齢千年と言われる「招福大楠」。
太い根(?)が大地から伸び上がり、人ひとり悠々と入れるほどの空間ができています。
スゴイですよ! 木の力、自然の力は!!
十分に満喫した私たちは、これで帰ることにします。
今回の東霧島神社で、「霧島六社権現」の二社目になります。
こうなると、「六社」制覇したくなる私・・・。
次は『狭野神社』を訪問してみよっかなーーー。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:東霧島神社〔霧島六社権現② ~ 宮崎県都城市高崎町東霧島〕
「佐多岬」を出発し、約1時間半ほど車を走らせたところ、左手に見える砂浜の上に鳥居を発見。
神社好きな家内から、すかさず車の停止命令を言い渡され速やかに停車します。
すぐにスマホで調べてみると、『荒平神社(菅原神社)』という学問の神様らしいのです。
祭神はもちろん「菅原道真公」。
砂浜の上に鳥居があり、その先の岩山に神社が建てられているため、
満潮時には神社に渡ることができないそうです。
こうやって写真で見てみると、なかなか風光明媚なところですね。
お参りをした後に、一路「桜島」を目指します。
以前、「桜島」には観光で遊びに来たことがあるのですが、
その際に寄ることができなかった場所が今回の目的地です。
まずは、1ヶ所目に到着。
『叫びの肖像』
2004年、長渕剛による伝説のオールナイトコンサートが開催された跡地に製作されたモニュメント。
50トンもの桜島の溶岩で作られたもの。当時、人口6000人の桜島に75000人の観客が集まったそうです。
長渕ファンにはたまらない聖地ですね。
そして、次の目的地は車で数分のところ。
『桜島自然恐竜公園』
ここは、小さな子供と一緒であれば楽しめるところなのでしょうね。
我々夫婦は早々とこの地をあとにしました。(・_・;
次は、今日の一番の目的地!
『猛威を語りつぐ鳥居』 有名な埋没鳥居です。
大正3年の桜島大噴火は、噴火の3日前から前兆が始まっており、島内の井戸は沸騰し、
海岸では大量の死魚が浮いていたそうです。
大音響とともに爆発し、黒煙は上空7000mにまで達します。
翌日には溶岩の流出が始まり、錦江湾に浮かぶ島であった桜島は大隅半島と陸続きになってしまいます。
多くの家屋が火山灰により埋没し、ここ腹五社神社の3mの鳥居も笠木だけを残して埋没したとのこと。
それがこの場所。
今では、県の文化財に指定されています。
噴火の猛威を後世まで伝えるために、このままの形をとどめることにしたそうです。
立っている場所から約3m下が、元々の生活していた位置だと考えると、
自然の脅威を感じずにはいられません。
すごい・・・。(ー ー;)
桜島は、今日一日曇り空で、かつ噴煙と混ざり合い、その全貌を現してくれません。
とりあえず、帰る途中に車を停めて、遠景を一枚写真に収めました。
さて、今から2時間かけて我が家へ帰ります。帰宅時間は、おそらく午後7時くらいでしょうか。
12時間の超長距離ドライブ。
さすがに疲れたーーー(-。-;
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:桜島〔世界の特定16火山 ~ 鹿児島県鹿児島市桜島〕
いつもの悪いクセ。
家内には「懲りんね—」と呆れ返られますが、またまた日帰りでの強行軍、
超長距離ドライブの計画を立てました。
まずは、宮崎市内の我が家から、約160㎞ 離れた鹿児島県最南端の『佐多岬』を目指します。
3時間半くらいで到着の予定。
1時間ほど観光した後、佐多岬から約100㎞ 北上して『桜島』へ!
桜島観光の後に、約110㎞ の道のりで家に帰ります。
ということで、朝7時に出発!!
家を出て、約2時間半を過ぎたところでようやく休憩に入ります。
「道の駅好き」な家内が必ず寄りたい、と言っていた道の駅。
『本土最南端の道の駅 ねじめ(根占)』に到着。
お手洗いで用を足し、ちょっと買い物して出発!
すると、「なんかおるーーー!!」との家内の声で急停止。
猿です! 野生の猿!!
車の中からすぐに写真を撮りましたが、実際には「家族連れのお猿さんたち」でした。
4~5頭はいたでしょうか・・・。
そうこうするうちに、ようやく佐多岬の駐車場に到着。
車を降りてからも、結構な距離を歩かなければなりません。
このような細い坂道を抜け、ようやく「本土最南端」の地、『佐多岬展望公園』に到着!!
ここ『佐多岬展望公園』は、「九州の最南端の地であること」や「眺めが絶景であること」など、
他の場所にはない観光資源があるものの、意外に観光客が少ないようです。
調べてみると、以前この公園は、一般の企業さんが入場料を取って運営されていたそうですが、
経営難によって運営を地方自治体側に譲る話などで紆余曲折があり、現在に至っているとのこと。
今は、公園エリア内外の各所の整備が進行中で、平成30年にはリニューアルオープンするようです。
楽しみーー!!
この場所から西側を見ると、雲がかかってハッキリとはしませんが、
薩摩半島の「開聞岳」が見えます。
そして、南側には、
日本の灯台50選に選ばれている『佐多岬灯台』が見えます。
ここからは、天気が良ければ「種子島」も見えるそうです。
九州各地のいろいろな景色を見てきましたが、ここはおススメですよ!!
さあ今から、ここまで来た道を引き返して車まで戻り、次の目的地『桜島』へ急がなければなりません。
もうすでに少々バテ気味・・・。(-_-;)
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:佐多岬〔九州最南端の地 ~ 鹿児島県肝属郡南大隅町佐多〕
昨晩、外出してバタバタ忙しく動き回り、帰宅後も何やかんやしていると、
結局寝たのは午前3時半くらいになりました。
そして、目が覚めるとすでに12時過ぎ。外は快晴。
「あーーー、もったいないことをしたー! 半日損したーー!」
とわめいていると、家内が滝を見に行きたい、と言います。
ということで、我が家から1時間ちょっとの『関之尾滝』へと出発!!
この『関之尾滝』。
日本の滝 百選に選ばれている、幅40m、高さ18mの大滝です。
滝の上流には、国の天然記念物にも指定されている『甌穴(おうけつ)群』を見ることができます。
約34万年も昔の火砕流でできた地層に、霧島山地からの清流が流れ込み、
小さな石の破片がころがりぶつかることで、この地層に穴が開いて形成されたそうです。
幅80m、長さ600mの規模は、世界一とのこと。
さて、家を出てから約1時間後に到着。
この辺りは「霧島ジオパーク」といい、地質的な遺産の保護や観光を目的としたエリアのようで、
ジオパークの一角に『関之尾滝』があります。
立派な案内柱『日本の滝一〇〇選 関之尾滝』が入り口に見えます。
家内に、「さ!! 歩くぞーー!!」と、車を下りて入り口に向かうと、
「立入禁止」!!
よーーく見ると、
とのこと・・・。
1時間かけてここまで来たのにーー。 それも高速まで使って・・・。(-_-;)
入口前の売店の方に聞いてみたところ、滝の上流は見ることができるらしい。
で、滝の上流見学のために第2駐車場へと移動します。
そして、ここから、
川岸に下りていきます。
すると、
美しい川が見えてきました。
そして、
これが、『甌穴(おうけつ)群』の一部。
さらに上流に上ると、川一面をこのような岩が広がっているそうです。
では、上流へと歩を進めると、
台風の影響でしょうか・・・。 大木が道を遮っています。
大木をまたいで乗り越えたところで、
写真を一枚、パシャ!!
今日は滝を見ることができません。上流まで歩く気も失せてしまい、
「また今度来ようかーー!」ということになり、家路に着きました。
またいつか、雄大な『関之尾滝』をご紹介したいものです。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 徒然記』
引用元:関之尾滝〔日本の滝 百選 〜 宮崎県都城市関之尾町〕









































































