こんにちは、こころの湖水です。

 

最近、やることが多く、やりたいことをやっているという感じではありませんでした。忙しい時でも目の前のことの外側にあることに目を向け、余裕を持つということが大事だと思っていましたが、いざやることに追われてしまうとそれはなかなか難しいということが分かりました。やることがまだ残っているのに本を読んでいると、焦りが生じてうまく内容が入ってこなかったり、パソコンで課題をやるための目の労力を残しておくためにブログをかけなかったりします。確かに外側に目を向けるといっても、目の前のことを終わらせないと単位がもらえないので、それはまずいのです。

 

なんだか、日常の渦に飲み込まれつつあるように感じてしまい、怖く感じています。ただタスクをこなすことだけに一日の時間の大半を割いてしまっています。このまま、日常の渦にのまれた大人になってしまうのではと思うと、恐ろしいのです。ただただタスクをこなしているだけで、日常何も考えていないと思うのです。内容は簡単だけど、量だけ多く、やたらと時間を食うタスク。このようなものに、人生を蝕まれてしまっている気がするのです。

 

でも、ではそのようなタスクの代わりに何か強くやりたいことや進みたい道があるかと言ったら、またそうでもないのです。本は読みたいと思っています。あと、映画を見たり、様々なやったことのない体験をしたり。人生について考えたりしたいと思っています。ブログもたくさん書いていきたいと思います。人とのかかわりを広げ、人とたくさん関わっていきたいと思っています。このようなことをやっていると、視野が広がったり、社会が何を求めているか、社会とどうかかわっていきたいかなどが見えてきて、自ずと進みたい道や進むべき道が見えてくるのではと漠然と思っているからです。特に、本をたくさん読めば、人生何とかなるような気がしています。視野が広がり、本質を突いた深みのある生き方ができるのではないか、お金を稼げる職業に就けるのではないかと、根拠はないけどなんとなく思っています。しかし、実際は今、空いた時間ができるとスマホを何時間も触ってしまったりします。また、受験が終わってから、多くの本を読んできたし、たくさんの人と仲良くしてきました。映画を見たり、ブログで考えをアウトプットしてきたりしました。雑学系のYouTubeを見たり、幅広いジャンルの音楽を聴いてみたりしました。しかし、進みたい道が見えてきません。人生の本質も見えてきません。やはり、「体験」というのがもっと必要なのでしょうか。コンテンツに触れるだけで、受動的なのでしょうか。あと、仲間と人生について意見交換や議論をする機会もありません。一人で考えているからろくな考えが浮かんでこないのでしょうか。進むべき道を見つけたいと思うのなら、進むべき道を悩んでいる仲間の集団の中に入って、皆で見つけていくことが必要なのでしょうか。

 

体験が足りないといいましたが、一応高校の時よりは体験はしているつもりです。大学のフィールドワークだったり、友達と遊びに行ったり、友達と多くの時間を過ごすなどです。しかし、それらの体験から何を学べたでしょうか。まあ、一応学べたことはあります。フィールドワークは普通に本を読むよりもはるかに印象の強い学びができ、フィールドワークで学んだことによって日常の解像度が少し上がったり、フィールドワークで学んだ分野に興味を持ったりしました。友達と過ごしていると、友達といるのはなんて楽しいのだろうということが分かりました。何かしらやっていると、これは楽しいなとか、これは興味ないなとかが必ず見えてきます。

 

…結構学んだことありますね。私は本を読んだり、体験をしたりするばかりでアウトプットが足りていないのでしょうか。振り返りですね。振り返りができてないから、やりっぱなしで何も身についていないのでしょうか。問題を解きっぱなしで丸付け直しをしていない状態と同じということでしょうか。きっとそうな気がしてきました。

 

あとやはり、先ほど書きましたように、考えについて議論する仲間がいないということも大きな原因だと思います。普段の雑談で友達と人生の話なんてしませんものね。やはりそういうことについて考える会に入るなり立ち上げるなりする必要があるように思えてきました。

 

では進みたい道などを見つけるためにも、議論する仲間を探すというのと、振り返りのアウトプットをするということをしていきたいと思います。