第60回 代表曲と売れた曲は一致するのか

 

工藤静香

 

おニャン子クラブ出身の中では「歌手」として別格の存在になり、アイドル冬の時代といわれた90年代に入ってからも、長い間ヒットチャートの上位で活躍し続けた工藤静香を取り上げます。ヒット曲は多数ありますが、実際のセールスの推移をみながら、代表曲との相関にも触れてみることにします。

 

【とりあえず秋元康で様子見】  1987年

「禁断のテレパシー」「Again」

おニャン子クラブということで、最初はやはり秋元康&後藤次利という組み合わせでのスタートになりましたが、この組み合わせは最初の2曲のみで終了。とりあえず無難な路線で様子見という感じのロックチューンで、工藤静香のディスコグラフィーの中で、この最初の2曲は、振り返ってみると異質な感はあります。がとりあえず1位をとりに行くということでは、まずはデビュー曲でそれを予定通り達成したというところでしょう。

 

【工藤静香らしさの起点】  1988年

「抱いてくれたらいいのに」

3rdシングルで、前2曲とはがらりとイメージを変えたスローナンバーを投入してきましたが、ある意味工藤静香らしさの起点になった曲ではなかったでしょうか。必ずしも万人受けするようなタイプの曲ではなかったとは思いますが、以後この曲と同じようなタイプの曲を、ところどころで放っていくことになり、工藤静香らしさのひとつの形になったような気はします。

【中島みゆきとの初タッグ】  1988年

「FU-JI-TSU」「MUGO・ん・・・色っぽい」

 

4th、5thと2曲続けて作詞に中島みゆきを起用したのですが、これにより相性の良さを発見したのか、定期的に中島みゆき作詞のシングル曲をリリースしていくことになります。この2曲は、これまたそれまでの3曲とはまったく違った雰囲気の曲で、それまでの大人っぽさを前面に打ち出した曲たちよりも、可愛らしさを表現した作品になっています。特に「MUGO・ん・・・色っぽい」は、それ以降のシングルも含めて、工藤静香の可愛らしい部分を引き出した随一の作品だったように思います。以降、工藤静香の世界が確立され、それに沿った楽曲が選ばれていくようになるため、後になってみると、この2曲は貴重な存在だったと感じるわけです。

 

【工藤静香の世界の確立で人気もピークに】  1989年

「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」

こうして自分の世界を創り上げた工藤静香は1989年に人気のピークを迎え、出す曲がすべて1位&50万枚以上の売上を残し、時代を象徴する歌手の一人となります。楽曲も歌唱力を生かしたマイナー曲のテンポを速くしたりスローにしたりしながらも、確立された工藤静香の世界内の勝負している印象はありました。

 

【築き上げた世界を忠実に守って安定期へ】  1990~1991年

「くちびるから媚薬」「千流の雫」「私について」

「ぼやぼやできない」「Please」「メタモルフォーゼ」

若干作品によって増減はあるものの、トップシンガーの地位を維持し続けていたのがこの時期。シングル曲については、大きな冒険をせずに、安定した支持を得られている世界を忠実に守っていたような、よく言えば期待を裏切らない安定安心の楽曲、悪く言えば似たような感じの楽曲が並んではいたものの、オリコンでは1位か2位を確実に獲得していました。

 

【勢いにやや陰りも路線は崩さず】 1992年

「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」「うらはら」「声を聴かせて」

相変わらず工藤静香の世界を崩さない姿勢を貫きましたが、なんか似たような曲だなというものが増えてきて、セールスの勢いとしては明確に低下してきます。オリコンでもベスト3に入らない状況が1年間続き、このまま徐々に下降していくのかと思わせるような状況でした。

 

【起死回生の大ヒット】 1993年

「慟哭」

しかしながら、ここにきて起死回生の一発大ヒットが生まれます。それが「慟哭」なのですが、本人出演のテレビドラマの主題歌に起用されたこともあって、これがもう少しでミリオンセラーという売上を残すことになります。アーティストのパワーとしてはピークをとうに過ぎたかと思われたこの時期に、キャリアハイの売上。楽曲さえはまれば、まだまだ爆発的売上を上げられるパワーを秘めていたのですね。

 

【ボーカリストとして進む道を模索】  1993~1994年

「わたしはナイフ」「あなたしかいないでしょ」「Blue Rose」

「Jaguar Line」「Ice Rain」

「慟哭」で再び跳ねた工藤静香でしたが、次の曲はまた元の流れに戻っていきます。この時期になるとね売れ線よりも、歌手としてワンランク上を目指したような、ちょっと難しそうな作品も増えてきて、脱アイドル的な意向も見え隠れしてきます。それでもオリコンではトップ10内をキープ。曲が支持されれば、まだまだ30万枚、40万枚を売り上げる力は保持していました。

 

【ついにトップ10落ち】  1995~1996年

「Moon Water」「7」「蝶」「優」

そしてとうとう「Moon Water」がデビュー以来初めてトップ10に届かずという結果になり、以降4曲続けて売上も低迷。もはやこれまでかという雰囲気も漂いだしました。

 

【作品によってはまだまだパワーを発揮】 1996~1998年

「激情」「Blue Velvet」「カーマスートラの伝説」「雪・月・花」

「きらら」「一瞬」

ところがここでまた復活を果たし、「激情」「Blue Velvet」「きらら」の3曲がトップ10入りを果たし、売上も20~40万枚台の数字をあげます。一方で他の曲は最高20番台で売上も数万枚。作品によって凸凹が激しい時期でありました。

 

【ヒット戦線からの撤退】  1999年~

「Blue Zone」「深紅の花」「心のチカラ」など

ここまで12年の間ヒット戦線を賑わしてきた工藤静香でしたが、ついに戦線から落ちていく時期を迎えました以後は結婚や子育てなどで露出を控えていた時期はありましたが、今は娘さんも芸能界で活躍し始め、相変わらずの存在感を示し続けているところは、さすがといったところかもしれません。

 

 

■売上枚数 ベスト5   

1 慟哭 93.9万枚

2 恋一夜 60.7万枚

3 黄砂に吹かれて 58.6万枚

4 MUGO・ん…色っぽい 54.1万枚

5 嵐の素顔 52.4万枚

2位から5位までは5~8thシングルが並び、この時期の人気の高さを示していますが、1位になったのは、それから4年も経った頃の「慟哭」がポツンと売れているのがかなり特徴的です。それにしても上位の曲は、おなじみの作品が並んでいますね。

 

■最高順位 

1位 …  禁断のテレパシー、FU-JI-TSU、MUGO・ん…色っぽい、恋一夜、

     嵐の素顔、黄砂に吹かれて、くちびるから媚薬、千流の雫、私について、

     Please、慟哭

全11作で1位を獲得。特に「FU-JI-TSU」からは8作連続でトップになり、まさに1990年代を代表する歌手であったわけです。

 

■代表曲

1 嵐の素顔

   慟哭

3    MUGO・ん…色っぽい

  恋一夜

  黄砂に吹かれて 

大ヒット曲が多く、人によって好き嫌いもあるでしょうし、順番付けはとても困難を極めたのですが、あえて1曲とすると、売上枚数で抜けている「慟哭」か、物まねをよくされた「嵐の素顔」かどちらかかな。ただ「MUGO・ん…色っぽい」「恋一夜」「黄砂に吹かれて」を挙げられる人もいるかなという思いもあります。

 

■好きな曲 ベスト5

1 MUGO・ん…色っぽい

2 FU-JI-TSU

3 慟哭

4 一瞬

5 Ice Rain

その後の工藤静香の作品群とはちょっと雰囲気の違う「MUGO・ん…色っぽい」と「FU-JI-TSU」が好きで、特に「MUGO・ん…色っぽい」は振り付けも可愛らしくていいですね。そのあとは一番売れた「慟哭」、河村隆一の作詞作曲の「一瞬」もお気に入りです。

 

1位曲が多いのでそれはマストとして、売上上位5曲がどれもみんな代表曲といえるようなラインアップになっています。

結論:順番はともかく、売上上位曲が代表曲であることには違いないでしょう