第48回 代表曲と売れた曲は一致するのか
柏原芳恵
トップアイドルとして80年代前半を中心にヒットチャートトップ10の常連として活躍した柏原芳恵。代表的な作品もわりと明確で、柏原芳恵と言われたらこれ、といった曲がありますが、実際の売上がどんな推移をたどったのか、みてみることにします。
【ホップステップ期】 1980~1981年
「No.1」「毎日がバレンタイン」「第二章くちづけ」「乙女心何色?」
「ガラスの夏」「めらんこりい白書」
同世代のアイドル河合奈保子、松田聖子、三原順子、岩崎良美たちがデビュー1年目から結果を出していたのに比べ、デビュー当初はかなり苦戦していました。スタートが76位で、3rdで49位。このまま埋もれてしまう可能性もあったかと思いますが、少しずつ作品ごとにランクアップし、5th「ガラスの夏」でようやく21位。ようやく光が見えてきた感じだったでしょうか。1stから4thまでがアイドルど真ん中という感じのかわいらしいラブソング、5th、6thと雰囲気を変えたところで少し上昇。ただまだどんな方向性でいくのか、定まっていない感はありましたね。作家陣も阿久悠、都倉俊一、大野克夫と70年代から活躍している面々が中心で、いい曲なんだけれどもライバルと比べて特徴に欠ける印象でした。
【一躍トップアイドルへ】 1981~1982年
「ハロー・グッバイ」「恋人たちのキャフェテラス」「渚のシンデレラ」「あの場所から」
それが1977年讃岐裕子の楽曲をカバーとして発売した7thシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒットとなり、トップアイドルの仲間入りを果たします。ちょっと前の売れなかったアイドルソングをカバーするというのはこの1981~1982年ごろのちょっとした流行り(石川ひとみ、小泉今日子など)になっていて、この曲もそんな流れの中のあったといえそうです。何はともあれ、「ハロー・グッバイ」をきっかけに、以降は企画ものを除いて、出す曲すべてトップ10に入る常連のヒット歌手となっていくわけです。作品は「ハロー・グッバイ」と同じ小泉まさみ作曲の「恋人たちのカフェテラス」や再びのカバー曲「あの場所から」など、歌謡曲の王道的な作品が続いていた頃です。
【名前を漢字にかえてニューミュージック勢の曲で一歩大人へ】 1982~1983年
「花梨」「春なのに」「ちょっとなら媚薬」「夏模様」
「タイニー・メモリー」「カム・フラージュ」
1982年10月発売の「花梨」では、“柏原よしえ”から“柏原芳恵”に表記を変え、可愛い可愛いのアイドルから一歩大人の歌手へと歩みを進めていこうという意図を感じましたが、実際にこの曲から、従来の歌謡曲的作家陣から、当時でいうニューミュージック系の作家に作品を依頼するようになっていきます。谷村新司(アリス)、中島みゆき、宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギバンド)、松尾一彦(オフコース)、松山千春とそうそうたる名前が並んでいる中、特に中島みゆきによる「春なのに」が卒業ソングとして話題を呼んでの大ヒット。これにより完全に人気アイドルとしての地位を確立したのでした。
【筒美京平で王道歌謡曲路線】 1984年
「ト・レ・モ・ロ」「悪戯NIGHT DOLL」
ニューミュージックの作品が続いた後で、筒美京平の作品が2曲。「あの場所から」も筒美京平作曲ですが、カバー曲ということで、オリジナル曲としては初めてシングルに起用。それまでのニューミュージック勢の曲とはちょっと違い、良い意味で下世話感のある作品で、色合いの違うもので変化をつけようとした感はありました。
【困ったときの中島みゆき】 1984~1985年
「最愛」「ロンリー・カナリア」
「悪戯NIGHT DOLL」が久しぶりに10万枚を切る売上となり、やや停滞感を覚えたのかもしれません。「春なのに」の成功をもう一度と、中島みゆきを2作続けて(「カムフラージュ」以来)起用しました。そして期待通りに、再びセールスを押し上げ、それまでのペースに戻すことに成功しました。
【再びニューミュージック勢とタッグ】 1985~1986年
「待ちくたびれてヨコハマ」「太陽は知っている」「し・の・び・愛」「春ごころ」
中島みゆきに続き、歌謡曲ど真ん中の三木たかし作品「待ちくたびれてヨコハマ」を挟んで、再びニューミュージック勢の作品をシングルに起用していくことになります。2度目の松尾一彦、高見沢俊彦(THE ALFEE)、五輪真弓らです。ただ五輪真弓作曲の「春ごころ」が最後のトップ10入りシングルとなり、アイドルとしては晩年に差し掛かっていたのがこの時期といえるでしょう。
【アイドルからボーカリストへ】 1986年~
「花嫁になる朝」「女ともだち」「途中下車」「A・r・i・e・s」など
同年代に歌唱力の極めて高いアイドルが多かったことで、柏原芳恵はあまり歌唱力について語られることは少ないのですが、今改めて聴くと、やはりしっかりとした歌唱力を持っており、アイドルとしてピークダウンした後は、歌で勝負する必要があったのでしょう。平尾昌晃、筒美京平、三木たかし、堀内孝雄などいわゆる歌謡曲系の作家を続けて起用し、歌で聴かせるところを目指していこうとしているようなところは感じられました。
■売上枚数 ベスト5
1 ハロー・グッバイ 38.2万枚
2 春なのに 33.4万枚
3 最愛 22.4万枚
4 渚のシンデレラ 20.1万枚
5 恋人たちのキャフェテラス 19.4万枚
上位3曲は前後のシングルと比べてもポコッと飛び出ていて、この曲が売れたんだねとよく分かるグラフになっています。4位、5位は「ハローグッバイ」の直後の2曲ということで、アーティストパワーとしては、この時期が一番強かったことがうかがえます。
■最高順位
6位 … ハロー・グッバイ、春なのに、タイニー・メモリー、カム・フラージュ
7位 … 渚のシンデレラ
意外にもベスト5に入っていません。6位の曲が4曲もありますので、タイミングが違えばベスト5に入っていてもおかしくなかったのでしょうが、運がなかったともいえそう。トップ10には18曲を送り込んでいますので、爆発力よりも安定感といったアイドルだったということですね。
■代表曲
1 春なのに
2 ハロー・グッバイ
3 最愛
「春なのに」と「ハロー・グッバイ」は甲乙つけがたいですが、卒業ソングという部分でも聴かれるという点で、「春なのに」を上にしてみました。
■好きな曲 ベスト5
1 夏模様
3 カム・フラージュ
4 悪戯NIGHT DOLL
5 ト・レ・モ・ロ
私の好みはこんな感じ。「夏模様」が大好きで、オフコースの中では目立たない松尾一彦のメロディメーカーとしてのセンスを認識させられた一曲となりました。中島みゆきの「最愛」は映画のワンシーンを観ているようで、こちらも大好き。一方で俗っぽい「カム・フラージュ」「悪戯NIGHT DOLL」なんかも好きだったりします。
売上で突出している3曲「ハロー・グッバイ」「春なのに」「最愛」がそのまま代表3曲といった感じで、アイドルの中でもかなり名実が一致しているといえるのではないでしょうか。
結論:売れた曲が代表曲で問題なし