第12回 代表曲と売れた曲は一致するのか
相川七瀬
ヒットメイカー織田哲郎のプロデュースの下、独特の立ち位置を見つけてヒットを連発。その後も結婚出産のあと大学にはいって勉強したりと、その生き方にも注目されているアーティストです。
【デビュー直後からいきなりの上昇気流】 1995~1996年
「夢見る少女じゃいられない」「バイバイ。」「LIKE HEAR RAIN」「BREAK OUT!」
織田哲郎プロデュースの元、やや尖ったテイストのロック路線で、デビュー曲でいきなり30万枚を突破。有望な新人が突如現れたといった勢いで、3曲目「LIKE HEAR RAIN」でトップ10入り、そこからは出す曲出す曲トップ10入りを果たしていくということで、デビュー直後から破竹の勢いの快進撃を見せていきました。
【ミリオンセラー達成で出す曲出す曲大ヒット】 1996~1997年
「恋心」「トラブルメイカー」「Sweet Emotion」
5thシングル「恋心」がついにミリオンセラーを達成し、トップアーティストの仲間入り。シングル曲の路線もデビュー時からぶれず、コンセプトがしっかりしており、続く6th、7thとも50万枚越えの売上。結果的にセールス面において、相川七瀬のピークの時期となりました。
【安定した実績でトップ10入りが続く】 1997~1999年
「Bad Girls」「彼女と彼氏の事情」「Nostalgia」「Lovin‘you」
「COSMIC LOVE」「世界はこの手の中に」
出すシングルはすべてトップ10入りで売上枚数も10万枚越えと、安定した実績を残し続けますが、売上枚数そのものは、少しずつ下降していきます。織田哲郎作曲が続き、相変わらずぶれないコンセプトではありますが、その反面聴く側にも少々飽きが出始めていたのかなという部分はあったかもしれません。
【トップ10に入るか入らないかでの競り合いの時期】 1999~2002年
「Jealousy」「China Rose」「midnight blue」
「SEVEN SEAS」「NO FUTURE」「~dandelion~」
「終わりない夢」「六本木心中」
この頃になると売上枚数が10万枚をきるようになり(連続トップ10入りは12曲でストップ)、チャート的にも10位に届くか届かないかという瀬戸際のラインが続くことになります。また織田哲郎以外の作曲作も歌うようになり、カバー曲にも挑戦したりと、いろいろ模索している状態がうかがえます。プライベートでは2001年に結婚しました。
【活動の場を広げ次の段階へ】 2002年~
「Shock of LOVE」「R-指定」「Round ZERO」など
「Round ZERO」が11位に入って健闘した以外は、ヒットチャートの上位には届かなくなり、織田哲郎のプロデュースからも離れていきます。私生活でも結婚や出産だったり、資格を取ったり進学したりと、歌以外にも活躍や発信の場を広げていき、次のステージに進んでいった印象です。
■売上枚数 ベスト5
1 恋心 112.9万枚
2 トラブルメイカー 50.8万枚
3 Sweet Emotion 50.3万枚
4 夢見る少女じゃいられない 36.8万枚
5 BREAK OUT! 33.6万枚
「恋心」がミリオンを達成し、その次の2曲がハーフミリオンと、売上枚数のピークの山が非常にわかりやすいグラフとなっています。
■最高順位
2位 … 「恋心」「トラブルメイカー」「Sweet Emotion」
4位 … 「BREAK OUT!」
5位 … 「Bad Girls」
2位が3曲ですが、その3曲が売上上位3曲と、順位と枚数が比例していてわかりやすいです。さらに4位、5位が各1曲ですが、それも2位の3曲を挟むように発売されたシングルになっていて、売上枚数以上に、アーティストとしてのパワーの起伏がはっきりとした山になっています。
■代表曲
1 夢見る少女じゃいられない
恋心
Sweet Emotion
いろいろ調べてみると、この3曲の支持が高いようで、それも三つ巴的な感じで甲乙つけがたい印象です。
■好きな曲 ベスト5
1 恋心
2 BREAK OUT!
3 Nostalgia
4 彼女と私の事情
5 LIKE A HARD RAIN
やはり売れている頃の曲の方が印象が強く、敢えて言えばこんな感じです。
アーティストパワーのピークに発売された「恋心」「Sweet Emotion」は売上・順位とも高く、さらにデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」が順位のわりに枚数を重ね、その3曲の印象が強いように思います。
結論:売れた曲と代表曲は完全一致ではないが、ほぼ一致するといって差し支えなし