80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.365
どうしてますか 原田知世
作詞 田口俊
作曲 林哲司
編曲 大村雅朗
発売 1986年3月
過去の恋に踏ん切りをつけて新しい日々を歩き出す、そんな春にふさわしい切なくも前向きな気持ちをうたった原田知世の佳曲
とうとう365人、365曲目の大晦日、最後に残った一人が原田知世ということになります。ちなみにこのあと2回分だけ延長戦と締めくくりのような回を経て、別の企画に移っていこうと思っています。で。原田知世ですが、どの曲を取り上げるかぎりぎりまで迷いました。迷った末に選んだのが『どうしてますか』で、迷ったもう一曲は『天国にいちばん近い島』(1984年10月)です。どちらも好きなのですが、自分の上京の頃を思い出させるというところで、こちらを選びました。
原田知世の歌手デビューは1982年7月の『悲しいくらいにほんとの話』でしたが、この曲はオリコンでは最高41位とあまり売れず、続く『ときめきのアクシデント』(1982年10月)も最高67位と、パッとしないものでした。そんな状況を変えたのが映画『時をかける少女』で、薬師丸ひろ子に続く角川映画のニューヒロインとしてプッシュされ、同タイトルの主題歌『時をかける少女』をリリースすると、映画のヒットと合わせて歌の方も大ヒット、オリコン最高2位、売上58.7万枚という大飛躍を遂げたのです。ただ当時の原田知世の歌唱はとても弱弱しいもので、あくまでも本業は女優で、歌手はついでのような感じには写っていて、まさか、こんなに長く歌手活動を続けていくとは、当時は想像もしていませんでした。
その後は『愛情物語』(1984年4月)、『天国にいちばん近い島』、『早春物語』(1985年7月)と主演映画に合わせてその主題歌を歌うというパターンが続き、久しぶりに映画から離れたシングルとしてリリースされたのが『どうしてますか』だったのです。オリコンでは最高7位、売上10.0万枚という実績になっていて、それまでのシングルの実績からはややダウン。原田知世にとって最後のオリコントップ10入りの曲となっていて、アイドル原田知世から大人の歌手へと変わっていく、そんな狭間にある頃に出した曲といっていいでしょう。
歌詞はというと、別れた恋人に対して「どうしていますか」と現況を気にしながら、一方でそんな恋人との別れを引きずっていた自分へ踏ん切りをつけて、ようやく笑顔で思い出せるぐらいになりましたよという、春にふさわしい前向きな内容になっています。
《春色の去年の服 ポケットに去年の恋 買ったまま乗らなかった 白い切符 サヨナラの日付》
この冒頭のフレーズが特に好きで、今目の前にある去年買った服や、そのポケットに入っていた切符を見て、まずは恋人とのサヨナラの日を回想するのです。
《ごめんね あなたに 想われたくて 背伸びばかりしていたの》
と、どうしてさよならになってしまったか、ようやく客観的に考えられるようになったのでしょうか。
《花吹雪舞う 陽炎の径 どうしてますか
あなたを愛してたこと 悩んでたこと やっと笑顔で思い出せる》
あれからどうしているのだろうと、恋人に思いを馳せつつ、自分もようやく笑ってあの恋を思い出せるようになったことを、心の中で伝えているわけです。
この曲はちょうど私が上京当時にはやっていた曲で、まだテレビも買っていなかったこともあり、この曲が入ったカセットテープを何度も聴いていたものです。ですから、『どうしてますか』も含めて、この曲が入ったカセットテープに入っていた曲については、期待と不安を抱えた18歳当時の思いが重なって、とても懐かしく感じられるのです。ちなみに同じカセットに入っていた曲としては、河合その子の上京ソング『青いスタスィオン』、荻野目洋子『フラミンゴinパラダイス』、アルフィー『風曜日、君をつれて』、斉藤由貴『悲しみよこんにちは』なんかがあったと思います。今でもこれらの曲を耳にすると、懐かしく感傷的になってしまうのですよね。
とにもかくにも、歌詞的にも、個人的なところでも、春の旅立ちを感じさせる『どうしてますか』はお気に入りの一曲なのです。
以上、これをもって365人のアーティストに達したわけですが、もしうるう年で366人目がいたら? ということで、次回は366人目がいたらだれを取り上げようかという回にしたいと思います。