80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.356
Return to Myself ~しない、しない、ナツ。 浜田麻里
作詞 浜田麻里
作曲 大槻啓之
編曲 大槻啓之, Randy Kerber, Greg Edward
発売 1989年4月
女性ハードロッカーとして登場し、やがてポップな要素も取り入れてセールス的にも開花、化粧品のCMソングに起用された浜田麻里最大のヒット曲
浜田麻里は1983年アルバム「Lunatic Doll〜暗殺警告」でメジャーデビューし、最初のシングルは少し後の1985年10月に『Blue Revolution』をリリース。デビューアルバムのタイトルの雰囲気から想像できるように、当初は女性ハードロッカーというイメージで売り出していて、デビュー時のキャッチフレーズには“ヘビーメタル”というワードが使われたりもしていました。当時は特に女性のハードロッカーという存在自体が珍しく、しかもいかにもハードロックやっていますというような派手ないで立ちをしていましたので、われわれ軟弱男子からすると、とても近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのです。いってしまえば、怖いお姉さんですね。ですから一部のコアなファンを相手にしているようなそんな印象があって、名前は知っていても曲は聴かない歌手が浜田麻里でした。それでも1stシングルからオリコンのトップ100には必ず入っていたので、特定のファンは早い時期からしっかりと掴んでいたといえるでしょう。
そんな浜田麻里にとっての転機となったのが、1988年9月発売の8thシングル『Heart and Soul』でして、初めてオリコントップ10入りして最高7位を記録、売上も15.3万枚という実績を上げたのです。それまでの最高順位が41位でしたので、まさに急上昇を果たしたのです。その急上昇の理由はといいますと、『Heart and Soul』がソウルオリンピックのNHKのイメージソングに起用されたからなのですね。オリンピック期間中は毎日のように何回も何回もテレビから聴こえてくるわけで、それによって今まで浜田麻里を聴かなかった人も、あれ、なかなか浜田麻里っていいじゃん、ということになったのでしょう。曲の方も国民的イベントのイメージソングということで、わりと耳なじみの良い曲になっていたのもあると思います。とにかく初めて売れたシングルとなったのです。
今回取り上げた『Return to Myself』はその『Heart and Soul』の次の曲になるわけですが、これがまた勢いに乗ってかどうか分かりませんが、良い意味で期待を裏切る、ある部分では“らしくない”感じの作品となったのです。なんといってもこの曲が’89夏のカネボウキャンペーンソングになったということが、まずはびっくり。いや、この曲というよりも、ハードロッカー浜田麻里がまさか化粧品ソングを歌うのかといった驚きといった方が正解かもしれません。考えてみれば、ケバイ(失礼)メイクで化粧品はたくさん使っていたのでしょうから、ぴったりといえばぴったりなのですが、女性をターゲットにしたおしゃれ感のある歌との相性といったものは、それまでからすると良さそうに思えなかったですからね。 ところが『Return to Myself』は今までの浜田麻里の個性的なボーカルを生かしつつも、それまでとは違う柔らかなイメージを取り入れ、化粧品キャンペーンソングに相応しい楽曲に仕上げられていたのです。そしてそれが見事にはまり、オリコン1位を獲得、40.7万枚とキャリアハイの売上を残したのです。
この『Return to Myself』はなんといっても出だしがカッコいいです。イントロなしでいきなりサビを歌い出すのですが、コーラスとそれ以外はほんの僅かな音だけで、最初から聴かせてくるのですよね。これはなかなか自信がないとできないのじゃないかなって思いますが、そこでいきなり聴くものの心をつかみ切ってしまいます。曲自体もそれまでの浜田麻里の作品よりもずっとポップに仕上がっていて、そこに彼女の持つ特有の華やかさが加わることで、楽曲の雰囲気としてもおしゃれで美しいものになっているのです。まさに化粧品のキャンペーンソングに相応しいもので、この曲で浜田麻里に対するイメージも大きく変わったのも確かでしょう。女性ロッカーならではのとっつきにくさがどこかにあったのですが、ちょっとだけ自分たちの方へ降りてきてくれたような、そんな感覚でした。
結果としてオリコントップ10に11週連続で居続け、しかも1位になったのは6週目という、少しずつ曲が浸透していってのトップですから、一時的な勢いというわけではなく、作品がじわじわと認められたということで、浜田麻里の人気はここからしばらく安定期に入っていきます。続く『Open Your Heart』(1989年11月)が最高4位、その後『Heaven Knows』(1990年7月)の9位、『Paradox』(1991年10月)の9位、『Cry For The Moon』(1993年1月)の6位とトップテンに入る作品を送り込んでいくわけで、この頃までが浜田麻里のピークだったともいえるでしょう。そして女性のメジャーハードロッカーとしての道筋をつけたという意味でも、功績は大きかったと言えるのではないでしょうか。