80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.354

 

シティ・コネクション エマニエル

作詞 ミッキー・シュガー

日本語詞 佐藤由佳

作曲 ダニー・ロング

編曲 ミシェル・シミーン

発売 1981年7月

 

 

身長の小さい黒人少年エマニエル君、あるいはエマニエル坊やとして、CMをきっかけに人気を博して大ヒットした一曲

 

 エマニエル・ルイス、通称エマニエル君、或いはエマニエル坊やと言われていた黒人の少年です。当時は10歳ということで、その仕草や表情が実に愛くるしく、可愛かったのですが、実際にはおとなになっても身長が130~140センチぐらいだといいますから、10歳という年齢よりももっと幼く見えたというのはあるでしょう。元々は海外ドラマに主演したことから人気に火がついたようですが、日本においては1981年にクラリオンのカーオーディオのCMに登場し、今で言うブレイクを果たしたということになります。そしてそのCMで流されたのが、エマニエルくん本人が歌う『シティ・コネクション』であり、エマニエルくん自身の人気とともに、レコードが爆発的に売れたわけです。

 

 CMの中のエマニエルくんは実に可愛く愛嬌があって、小さい体を動かして、楽しそうにダンスを踊っている姿がまた可愛いのですよね。歌もたどたどしい感じなのですが、それがまたキャラクターに似つかわしく、結局『シティ・コネクション』はオリコン最高2位、売上33.8万枚という驚きの結果を残しました。

 

ただ日本人ではないので、テレビの歌番組では当然ながらほとんど歌われることはないわけです。当時ヒット曲として実感するのは、テレビのランキング番組とか、各テレビ局での年末の賞レースなどがメインでしたので、最初はそんなにヒットしている実感はありませんでした。良く聴いていた地元のラジオ局のベストテンでも、FMのベストテンでも登場してきませんでしたから。しかしながら、音の入りの悪い電波で聴くようになっていた不二家歌謡ベストテン(静岡県から東海ラジオの放送を聴いていました。進行は当時ロイ・ジェームス。懐かしい…。)で『シティ・コネクション』が上位にランクされているのを初めて知り、これこそが本当のヒット曲だと実感したわけです。

 

 さて『シティ・コネクション』ですが、この曲の作曲者はダニー・ロングとなっていますが、これはビーイングを設立した長戸大幸のペンネームなのですね。完全に向こうの曲が元だと思っていましたが、そうではなかったようです。有名どころでは三原順子『セクシー・ナイト』を作曲しています。そして英語版の作詞のミッキー・シュガーのことはよくわかりません。

 

 この曲は英語バージョンと日本語バージョンがありましたが、日本語版なんかはおそらく意味も分からず、教えられた発音どおりに歌っていたのでしょうね。

《あの娘が死ぬほど好きなんだ 今夜は君を離さない》

とちっちゃい子が歌っているのは、ほのぼのと可愛らしく見えてしまうのですよね。子供っぽい歌詞ではなく、ちょっと背伸びした歌詞を歌わせることで、かえって愛らしく見える効果を狙っていたのでしょうし、それが見事にはまってヒットにもつながったのではないでしょうか。

 

 このように小さい子供が歌う企画物的な作品は、たまーにはまって大ヒットに繋がることがあるのですが、昭和の時代は今に比べて多かったように思います。1969年の皆川おさむ『黒ネコのタンゴ』、1976年の斉藤こず恵『山口さんちのツトム君』、そして1981年『シティ・コネクション』がそれぞれブームとなる大ヒットになっています。グループですがフィンガー5の一連のヒット曲なんかもこの中に入れてもいいのかもしれません。しかしこれらの後はなかなかこういった子供唄が大ヒットするというケースはなくなってしまい、純粋な子供だけの歌の大ヒット曲とすると、2011年の芦田愛菜と鈴木福による『マル・マル・モリ・モリ!』ぐらいではないでしょうか。2007年の『崖の上のポニョ』なんかもメインは当時はまで子供だった大橋のぞみですが、藤岡藤巻として大人がついていましたからね。平成以降子供の歌う曲がヒットする環境ではなくなったということなのでしょうか。少子化が影響しているとは思えませんが、もしかすると社会生活の中で子供の占める割合が減ってきたということも一因としてあるのかもしれません。或いは子供に金儲けさせるなんてという批判的な声が強くなったのでしょうか。

 

 そう突っ込んで考えてみると、『シティ・コネクション』がヒットしていた時代というのは、ある意味おおらかな時代だったといえるのかもしれません。