デーゲーム 坂上二郎とユニコーン
作詞 手島いさむ
作曲 手島いさむ
発売 1989年9月
当時人気急上昇中のユニコーンと歌手としてもヒットの実績のあった坂上二郎という異色の組み合わせによる野球ソング
1980年代終盤の日本の音楽界はまさにバンドブームの真っ只中。その中で台頭してきたバンドの1つがユニコーンでして、1989年4月『大迷惑』でブレイクを果たすと、続く『働く男』ではオリコン最高3位を記録。まさに昇り竜の勢いの中でリリースした次のシングルが、なんとお笑い界の大御所坂上二郎とタッグを組んでの『デーゲーム』だったのです。
一方の坂上二郎はというと、萩本欽一とのコント55号実でお笑い界を席巻し、当時は既に大御所的な立場に昇り詰めていましたが、実は歌手としても定評があって、1974年11月に発売したソロシングル『学校の先生』はオリコン最高8位、売上27.3万枚という実績も残していたのです。そんなお笑い界の大御所と新進バンドという異色の組み合わせによる楽曲が今回取り上げた『デーゲーム』ということになります。 ユニコーンとしては『大迷惑』『働く男』といった風刺のきいたコミカルな作品が2曲続いたあとでしたので、特に新しいファンにとっては、彼らの新しい一面を感じ取れたのではないでしょうか。セールス的にはオリコン最高11位、売上5.1万枚という成績を残しています。
作品としては、タイトルから分かるように、野球をテーマにしたものになっています。野球に関する言葉もたくさん登場します。ただこの歌詞は実はなかなか難解でして、一語一語はけっして難しい単語を使っているわけでもありませんし、言葉数も多くはないのですが、どういう状況を歌っているのか、いろいろ想像させて答えが分からないのですよね。
《白いボール 小さくなってく 叫び声も 吸い込んだ暗い青》
僕と君と つぶした缶ビール 乾いた風 立ち上がる人の海》
屋外のスタジアムで、缶ビールを飲みながら、彼女とナイター観戦でもしているのでしょう。
《時は流れ 長い物語 思い出の中 呟いている》
冒頭のシーンは彼女との思い出の場面だったのでしょうか。
《降り出した雨 飛びたつ小鳥達 つまらない朝 着そびれたユニフォーム》
この辺りから???がうごめきだしてきます。
《約束どおり 走りぬいたけど 届かない ねえ ジョー・ディマジオ》
《時は流れ 長い物語 出る幕のない ベンチウォーマー》
ジョー・ディマジオとは昔の名選手のことなのですが、突然出てきたことにまずは違和感を覚えます。そしてなぜベーブ・ルースでもなく、ルー・ゲーリックでもなく、ジョー・ディマジオなのか。ただこの彼の今が、なんとなく思いどおりにいっていない、そんな印象のフレーズにはなっているように思います。
《夢中で追いかけて ベースボール・ウィークエンド
目と目の悪戯より ベースボール・ウィークエンド
バスケット抱えて ベースボール・ウィークエンド
今も過ぎた日の暖かい影に閉ざされて》
具体的には何も分からないのですが、過ぎし日の懐かしき思い出に浸りながらも、今の自分の歯がゆさが染み入ってくるような歌詞に聴こえます。そして人生の酸いも甘いも経験した坂上二郎が歌うと、なんかリアルというか、説得力を持って伝わってくるのですよね。決して派手な曲でもないし、キャッチーなメロディーでもないのですが、味わい深い作品になっているのです。
私ぐらいの世代になると、野球に関する思い出って、誰にでも何かしらあると思うのです。小学生の頃は連日のように誰かが近所の公園で野球をしていましたし、日曜日には今週は何組と何組が試合だといって、当日来られる人が招集され、試合をしていました。男の子は通学の際に贔屓の球団の帽子をみんなが被っていました(ちなみに私は近鉄バファローズの帽子でした)。私の住む市ではプロ野球の春季キャンプが当時張られていて、父親に連れて行ってもらったこともあります。そうそう、バスツアーで公式戦も一度観に行きました。大学に入り東京に出てくると、プロ野球や大学野球の試合をちょくちょく観に行きましたね。西武球場、東京ドーム、神宮球場、川崎球場…。当時は新聞をとると、野球のチケットが配られたりもしていましたね。この曲のように、ビールを飲みながらのナイターは最高でした。そしてなんといっても、1988年10月19日、2連勝すれば目の前で我が近鉄バファローズの胴上げが見られるということで、1時間以上並んで入場した近鉄-ロッテ戦は今でも忘れられません。引き分けで優勝を逃して帰路につくときの虚しさ…。振り返ると、懐かしく楽しかった野球に関する思い出…。そしてそんな楽しい思い出と、そんな楽しさから遠くなってしまった現在の自分…。そんな思いと重ねながらこの曲を聴くと、心に染み入ってくるのですよね。
坂上二郎とユニコーンによるタッグはこれ一回の企画にはなりましたが、それだからこそ印象的な一曲として今でも心に残っているのかもしれません。