80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.335

 

がんばれブロークン・ハート  谷村有美

作詞 戸沢暢美 

作曲 西脇辰弥

編曲 西脇辰弥

発売 1989年4月

 

 

90年代前半のガールズポップ系の中心的存在としてけん引したクリスタルボイス、その初動となった80年代の最後の年に送り出した一曲

 

谷村有美は1987年11月『Not For Sale』でデビュー、3rdシングル『Boy Friend』(1988年10月)が初めてオリコンチャートのトップ100に入り(最高65位)、少しずつステップアップしていく中でリリースした4thシングルが『がんばれブロークン・ハート』です。この曲は前作からさらに順位を上げ、オリコン39位を記録、このあと90年代に入ってさらに活躍していくにあたっての、まさに初動となるような曲になったのでした。

 

谷村有美が本領を発揮したのは90年代に入ってからであり、90年代の半ばまでにかけて、ガール(ズ)ポップといわれるジャンルの中心的存在として、名曲佳曲を送り出していきます。特に私が好きなのは『ときめきをBelieve』(1992年6月)、『いちばん大好きだった』(1992年11月)、『FACE UP』(1987年8月)といったあたりなのですが、このブログでは80年代縛りということにしていますので、とりあげるのは『がんばれブロークン・ハート』とさせていただきました。

 

谷村有美といえばまずはそのハイトーンのクリスタルボイスでしょう。ちょっと不安気に揺らめく感じがまた魅力にもなっていて、他のアーティストとは違う独特の個性になっていたように思います。1980年代終盤から1990年代の半ば頃にかけては、前述のガール(ズ)ポップというくくりの中で、多くの女性ソロアーティストが登場し、ヒットチャートを賑わしていて、平松愛理、永井真理子、久宝留理子、森川美穂、松田樹利亜、井上昌己、久松史奈、森高千里、遊佐未森、橘いずみ、田村直美などなど次から次へと登場し、音楽シーンを賑わしていました。その中で谷村有美は、等身大の女性の歌詞でOLを中心とした同世代の同性の心をつかみながら、キュートなルックスで男性ファンも惹きつけ、そしてライバルたちにはない独特のクリスタルボイスでとどめをさしていたわけです。

 

そしてもうひとつ谷村有美の武器として、知性といったものがあったように思います。慶應大出身ということに加えて、テレビやラジオのパーソナリティとしても活躍をするなど、音楽以外にも才能を発揮していたのですね。ともするとこうした知的な感じは鼻について嫌われることもあるのですが、谷村有美の自然体で飾りのないおしゃべりも人気の要素でした。

 

さて『がんばれブロークン・ハート』ですが、この曲は作詞戸沢暢美、作曲西脇辰弥と、自作ではありません。谷村有美の場合、自分で作詞も作曲も行うのですが、他の作家やアーティストによる作品を歌うこともちょくちょくありました。作詞の戸沢暢美は南野陽子『話しかけたかった』で触れたとおり、多くのヒット曲を送り出した売れっこ作詞家ですが、作曲の西脇辰弥は谷村有美には多くの曲を提供しているものの、他のヒット曲はこれといってない感じです。 

 

『がんばれブロークン・ハート』というタイトルが歌詞の内容を端的に表していて、彼に振られて傷心の自分を励ますものになっています。

《思い出が肩をたたく街角》

《涙止まれ》

《あなたからサヨナラ言われたせい》

といきなり失恋して悲しんでいる状況を冒頭で明らかにしています。その上で

《がんばれ 私のBrokenheart》

とサビで繰り返し歌って自分を励ましているのですが、このあと自分や友人の失恋を歌った歌というのが谷村有美の一つの定番になっていきます。

 

『6月の雨』(1990年4月)、『友達』(1990年11月)、『ときめきをBelieve』、『いちばん大好きだった』、『最後のKISS』(1993年6月)、『しあわせの涙』(1994年5月)、『今夜あなたにフラレたい』(1994年7月)、『あしたの私に会いたくて』(1994年11月)、『FACE UP』などなど失恋したけれどどこか前向きなそんな曲が多くシングルで歌われていて、それこそが、谷村有美が同世代の女性たちに共感されたところなのではないでしょうか。その原型となったのがこの『がんばれブロークン・ハート』ではないかと私は思うわけです。「私にはこれだ」という、一つの形がこの作品あたりから確立され、やがて90年代のジャンプアップにつながった、その意味では彼女にとっては重要な一曲となったのではないでしょうか。

 

このあと90年代に入り、オリコンシングルチャートではトップ20に何曲か入るようになり、そして1994年11月発売の『あしたの私に会いたくて』が初のオリコン最高10位を達成、続く『信じるものに救われる』(1995年2月)は自己最多の13万枚を売上げるなど、大ヒットこそないものの、90年代半ばまで長く支持を受け続けていくのでした。