80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.321

 

涙のtake a chance  風見慎吾

作詞 荒木とよひさ

作曲 福島邦子

編曲 小泉まさみ

発売 1984年12月

 

 

日本にブレイクダンスを広めるきっかけとなった、欽ちゃんが生み出した男性アイドルのダンスナンバー

 

 1980年代の前半は、欽ちゃんこと萩本欽一の冠番組に出演することが、人気者になるひとつのコースになっていました。イモ欽トリオ、わらべ、よせなべトリオの松居直美、復活の細川たかしなどがそのコースに乗ったわけですが、風見慎吾(現風見しんご)はその中での出世頭といえる存在でした。1983年5月に『僕笑っちゃいます』でレコードデビューしましたが、いきなりの大ヒット。オリコン最高6位、売上33.0万枚という実績を残し、いきなり人気タレントの仲間入りを果たしたのです。この『僕笑っちゃいます』は作曲が吉田拓郎という力の入ったものでしたが、曲自体はコミカルで自虐的な親しみやすい歌。それが風見慎吾自身のキャラクターに合致してのヒットということでしょう。当時なんでこんなのが売れるんだと思ったりもしたのですが、中学生の男子には分からない魅力があったのでしょう。

 

 続く2ndシングル『泣いちっちマイ・ハート』(1983年11月)は同じ路線のコミカルで自虐的な楽曲で、オリコン最高13位、売上16.9万枚というまずまずぐらいの成績。順位的にはトップ10圏外になってしまいましたが、枚数的には二けたを余裕でキープ。ただ3rdシングル『そこの彼女』(1984年6月)は順位こそオリコン12位と順位こそ前作と同じぐらいでしたが、売上が7.5万枚と半分以下に激減。風見慎吾のブームも終わりかと思われたところで、ガラっと曲調を変えて発売された4thシングルが『涙のtake a chance』でした。

 

『涙のtake a chance』は曲の中で、当時日本ではまだあまりなじみのなかったブレイクダンスをとりあげたダンサンブルなナンバーで、風見慎吾が激しいダンスを踊りながらもしっかりと歌い切るパフォーマンスは、今改めて見返すと、なかなかすごいことをしていたんだなと感心させられます。当時はあまり意識しなかったのですが、かなり体力も鍛えてこの曲に臨んでいたんだろうなと、もっと早くその凄さに気づいてあげればよかったと思ったりもしました。そしてこの曲はそのブレイクダンスが話題になり、デビュー曲以来のトップ10入り。最高10位で売上も22.5万枚と、再浮上をここで果たしたわけです。

 

 なんといっても見どころは間奏のところでのブレイクダンス。正直言って、この歌の場合は歌詞なんて、リズムに乗っていればなんでもいいって感じでしょう。作詞の荒木とよひさ氏には失礼ですが…。要するに風見慎吾が歌うパートがあれば良し。大事なのはリズムとメロディーが風見慎吾の踊るダンスにはまること。そういう意味では、歌っている箇所よりも、踊ることに専念できる前奏や間奏の方がむしろ大事だといえるかもしれません。実際に間奏はきちんと長めにとっていますからね。今作での勝負の箇所は心得ていたようです。歌詞の内容自体も、曲に乗っかる言葉を英語まじりに乗っけているだけで、中身はペラペラ。でもこの曲に関してはそれが正解。だれも風見慎吾の唄う『涙のtake a chance』の歌詞に涙したり、勇気づけられたりなんか期待していないわけですから…(これも失礼か…)。

 

 ちなみに作曲は福島邦子。そもそもはシンガーソングライターとしてデビューした方ですが、これといってヒットには恵まれませんで、曲の提供もちょくちょくしていたようです。ただこちらもヒット曲はこの『涙のtake a chance』ぐらいしかないようで、この曲のおかげで、なんとか音楽家として実績を残すことができたという感じですかね。

 

 さてこの曲のおかけで、風見慎吾=ブレイクダンスというイメージが定着し、その後長く芸能界で活躍していくためのひとつの武器になったことでしょう。60歳を機会に、ひとまず芸能界の仕事にケリをつけるということらしいので寂しさはありますが、風見慎吾を風見慎吾たらしめた一番の財産が『涙のtake a chance』ではなかったかと、私は思います。