80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.312
フリージアの少年 志賀真理子
作詞 麻生圭子
作曲 山川恵津子
編曲 山川恵津子
発売 1986年2月
19歳にして悲劇の事故死を遂げたアイドルが唯一のオリコントップ100入りを果たしたデビュー曲
1986年に『フリージアの少年』でデビューした志賀真理子。このシングルはオリコン最高48位と、彼女自身で唯一のオリコンシングルチャートトップ100入りを果たしました。しかし続く2ndシングル『青い涙』からはトップ100に入ることはできず、4枚のシングルをリリースしたあと、1988年4月にデビュー僅か2年ちょっとで芸能界を引退してしまいます。学業を優先したということで、早めに芸能界に見切りをつけた決断は、アイドルとしての人気を考えると、一見正しかったように思えました。ところが1989年11月、当時の新聞に掲載された小さな記事を見つけ驚いたのです。それはアメリカに留学中の志賀真理子が交通事故で亡くなったという記事でした。20歳になる1か月前、19歳という年齢でした。芸能界を引退して学業を選んだことが、こうした結果を招いてしまったのです。もちろん芸能界に残っていても、日の目を見ることができたという保証はないのですが、10代という若さで亡くなってしまったということで、その後も強く印象に残ったアイドルでした。
とりあげたのはデビュー曲『フリージアの少年』です。本当は自分でも当時レコードを買った『青い涙』(1986年5月)が好きなのですが、オリコン100位圏外の曲を取り上げるわけにもいかないだろうということで、『フリージアの少年』です。改めて聴いてみたのですが、楽曲として意外にしっかりした曲になっていましたし、歌もなかなかちゃんと歌えているのですよね。方向性としてはまさに正統派のアイドル路線という印象で、松田聖子の後を追っているような一曲に感じました。
1986年といえば素人感を売りにしたおニャン子クラブ絶頂期で、その中でデビューした非おニャン子アイドルとして伊藤智恵理、山瀬まみ、小原靖子、相楽ハル子、島田奈美、杉浦幸、西村知美、藤井一子、水谷麻里、八木さおりなどがいましたが、その中でも正統派路線で歌も歌えるというのは伊藤智恵理、山瀬まみ、そして志賀真理子あたりになるでしょうか。しかしながらその正統派を狙った彼女たちは、アイドル歌手としては成功には至らず、むしろ楽曲的には正統派であっても、歌のあまりお上手ではない西村知美や島田奈美の方が売れたというのは、素人らしさが好まれた時代といったこともあるのでしょうか、皮肉なものです。
それはともかく、『フリージアの少年』は作詞麻生圭子、作曲山川恵津子という実績のあるヒットメイカーを起用して、なんとか志賀真理子という新人アイドルを売り出そうという体制は整えて、いざというところだったのでしょう。
歌詞の内容はというと、ただのクラスメイトだった男の子をある時から意識しだして、妄想しながら遠くから見つめているというような、まあ微笑ましい恋心を歌った曲です。この内容からしても、清純派でまずは売り出そうとしていたのはよくわかります。その結果、デビュー曲としてはなんとか健闘したかなというところはあったのですが、人気は伸びなかったですね。次のシングル『青い涙』は夏らしい、亜業弾むような曲で、前述のように私は結構すきだったのですが、結果は散々たるもの。そこから上がることはなく、パッと消えていってしまったのです。
なぜ売れなかったかというと、まあ、ルックスが地味だったというのが、やっぱり一番でしょうかね。あまり華がないというか、やはり売れた西村差も観や島田奈美なんかと比べると、人気は出にくかったかもしれません。そういう面では、芸能界よりも勉強をとったというのは、冷静な判断だったように思えたのですが…。