80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.286

 

夜霧のハウスマヌカン  やや

作詞 いとうせいこう、李秀元

作曲 柵部陽一

編曲 柵部陽一

発売 19861

 

 

 

正体不明の謎の歌手が歌う企画ソングは、タイトルのインパクトと当時の世相が反映された歌詞でスマッシュヒット

 

 これからまさにバブル期に突入しようとしていた1986年、女性の職業を表すハウスマヌカンという新しい言葉がトレンド入り(?)しました。要するになんてことはない、ブティックなんかで、売っている服を着て販売をする店員さんのことなのですが、その言い方を変えることで、何か新しい時代の職業に感じられてくるから不思議なものです。そんなハウスマヌカンという言葉を大胆にタイトルに使った曲を発売し、話題になったのがややという一見正体不明の歌手でした。タイトルは『夜霧のハウスマヌカン』です。実際、この曲をきっかけにハウスマヌカンという言葉を知った人も多かったはずです。

 

 時代の最先端の職業ハウスマヌカンに、夜霧という昭和30年代歌謡っぽい言葉をくっつけると、どこか哀愁を感じさせるタイトルになるのですが、それに加えてややの歌声が独特で、さらに哀愁を誘うのですよね。最初に『夜霧のハウスマヌカン』を聴いたときは、男か女かよくわからない名前の歌い手が、男か女かよくわからない声で、コミックソングっぽいタイトルで、ムード歌謡っぽいメロディーの歌を歌っていて、なんじゃこりゃという印象しかありませんでした。実際にはややさんは女性の歌手で、ソロ歌手としては『夜霧のハウスマヌカン』がデビュー曲になりました。売上的にはオリコン最高45位、5.0万枚という実績ではありましたが、その数字以上に話題になり、ラジオや有線でもよく流れていたものです。実際のお名前は小島八重子さんということで、実際にはこれ以前にも本名名義で映画に出演したりもしていたみたいです。

 

 さて『夜霧のハウスマヌカン』ですが、作詞にはいとうせいこうが絡んでいて、このあたりにもう企画物的な色合いが濃く表れています。作曲は柵部陽一となっていますが、この人のことはよく分かりません。この曲以外の実績がほとんど分からず、やや以上に実は謎の存在でもあります。

 

 で、この歌詞なのですけれど、ハウスマヌカンというトレンディーなイメージとはまったくかけ離れた自虐的で荒んだ内容になっています。三十路直前で金もなく友達も恋人もいない寂しい女性の嘆きが歌われていて、実はハウスマヌカンって一見派手だけれど、実際は地味でわびしい毎日を過ごしているのだよということが主張されているのです。

《ファッション雑誌切り抜いて 心だけでもNew York 表参道人の波 乗ってみせるわ 玉の輿》

《夜霧のハウスマヌカン お金もないのに見栄を張る 夜霧のハウスマヌカン また昼はシャケ弁当》

《今日もお声がかからない オーケー私を嫌いなの なにわ恋する御堂筋 女ひとりのはしご酒》

《夜霧のハウスマヌカン 社販で買った黒のドレス 夜霧のハウスマヌカン 私来年 三十路だわ》

と涙が出てきそうじゃないですか。バブル前夜で浮かれる人々を尻目に、無理して高い洋服を着て頑張っている姿…。そんな嘆きに共感をしたり、笑ってみたり、そんな感じでこの曲は広がっていったのでした。

 

 そんなややですが、この歌の後数年間はヒットチャートから遠のいていたのですが、19903月発売の『ランバダ』がブームに乗ってのオリコン60位を記録。『ランバダ』は競作でも話題になりました。今度はバブルに浮かれる日本の下、再びややの名前を耳にすることになったのですが、これがオリコントップ100に入った最後になりました。