80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.263

 

ダンスはうまく踊れない  高樹澪

作詞 井上陽水

作曲 井上陽水

編曲 チト河内

発売 19827

 

 

 

彗星のようにヒットチャートに登場したデビュー間もない新進女優による、井上陽水の妻石川セリのカバー曲

 

 高樹澪が芸能界デビューしたのが1981年。歌手としてはシングル『恋の女のストーリー』(19818)でデビュー、女優としても複数の映画やドラマに主演し、まさにこれから売り出そうかというようなそんな状況でした。そして1982年になって、突如ヒットチャートの上位に顔を出してきたのが『ダンスはうまく踊れない』でした。当時の私は高樹澪という存在自体認知がなくて、まさに彗星のように現れてきたといったそんな印象でした。それもそのはず、トップ10どころか、オリコントップ100に登場したのもこれが最初だったのです。それがいきなりのオリコン最高3位、売上31.3万枚の大ヒットとなるわけですから、何が起こるか分からないのが芸能界であり音楽界ということなのでしょう。ちなみにこの後も何枚かシングルレコードを発売しましたが、いずれもトップ100圏外。そういう意味では、高樹澪にとっては、奇跡的な作品とめぐり逢ったということもできるかもしれません。

 

 この『ダンスはうまく踊れない』はそもそも井上陽水の妻となる石川セリが歌っていた曲で、ですから作詞作曲も井上陽水となっています。石川セリ盤(19774)はオリコン最高57位、売上3.2万枚という実績で、さほど世間には浸透はしませんでした。そんな曲が、歌い手が変わることによって大ヒットに繋がるわけですから、面白いものです。当時こういったパターンは『まちぶせ』(三木聖子→石川ひとみ)『ハロー・グッバイ』(複数名→柏原よしえ)『あの場所から』(Kとブルンネン→柏原よしえ)など、後からカバーした方がヒットするということがままありましたが、『ダンスはうまく踊れない』はまさにそのパターンにはまった典型的なケースです。

 

 この高樹澪の『ダンスはうまく踊れない』は元々アルバム収録曲でしたが、テレビの『金曜ミステリー劇場』の主題歌に使われたこともあってシングルカットされ、多くの人の耳に届いたことでヒットに繋がりました。当時22歳。今思うと見た印象よりはずっと若くて、本人の雰囲気も、歌う曲も含めて、大人の女性の路線として売り出そうということだったのでしょうね。当時中学生の私からすると、この曲のヒットというのは、実はあまりピンとこないところはありました。どうしてこの歌が売れるのかなぁって。ただアイドルや演歌勢中心に、そこに一部のニューミュージック(当時の呼び方で)系のアーティストたちが加わったこの頃のテレビ音楽界で、高樹澪のような存在が入ってくるのは、新鮮ではありました。

 

 特に井上陽水による作詞は例にもれず独特で、夏の夜に一人きりで部屋の中で踊る女性の心理を延々と歌っているのですよね。メロディーも起伏が少なくてどちらかというと単調。中学生にこの曲の良さを理解するのは、ちょっと難しかったです。1980年代の前半は、井上陽水の他のアーティストへの楽曲提供がわりとあったころで、『ダンスはうまく踊れない』以外にも、有名な中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』(1984)、沢田研二『背中まで45分』(1983)、安全地帯『ワインレッドの心』(1983年 作詞のみ)『恋の予感』(1984年 作詞のみ)、三田寛子『駈けてきた乙女』(1982年 作曲)、薬師丸ひろ子『ステキな恋の忘れ方』(1985)などがありました。この『ダンスはうまく踊れない』はカバーではありましたが、井上陽水は他のアーティストにもいけるというのがこのヒットで証明され、上記の他のアーティテストへの提供へ繋がっていったのかもしれません。

 

 高樹澪については、歌手活動は1980年代でほぼ終わり、以後は女優業に専念。ただし近年はあまり表立った活動はみられず、たまにこの『ダンスはうまく踊れない』で忙しかったころを振り返るような企画で顔を見るぐらいになっています。ただそれだけに高樹澪にとってこの曲のヒットは、大きな存在であり続けているのではないでしょうか。