80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.246
さよならと言われて 松本典子
作詞 銀色夏生
作曲 呉田軽穂
編曲 松任谷正隆
発売 1985年9月
志村けんに重用された明るく朗らかな中堅アイドル3枚目のシングルは、ユーミン作曲による失恋バラードの佳曲
1985年3月にEPO作詞作曲の『春色のエアメール』でデビューした松本典子。私は結構彼女のことが好きで、もらったポスターを部屋に貼ったりとかしていたぐらいなのですが、トップアイドルになりきれない中堅アイドルというのが、松本典子の立ち位置だったように思います。テレビの露出は結構あって、特に志村けんには可愛がってもらい、「志村けんのだいじょうぶだぁ」では石野陽子とともにレギュラーとして活躍していた印象が強く残っています。のちにプロ野球の笘篠選手と結婚して話題にもなりました。ただアイドル歌手としては、結局一度もオリコントップ10に届くことがなく終わったのが残念ではあります。そんな松本典子の曲の中で、最も上位に食い込んだ(最高17位)シングル曲が『さよならと言われて』でした。
松本典子のデビュー曲『春色のエアメール』は春らしい爽やかな曲、2ndシングル『青い風のビーチサイド』は夏らしい明るいラブソング(この曲がまた名曲といいたいくらいの大好きな曲で、今回松本典子の曲としてどちらを取り上げるか、最後まで悩みました)、そして3rdシングル『さよならと言われて』は一転して秋に相応しい悲しい失恋ソングと、季節に合わせた楽曲で、まさにアイドルの王道をいくような曲をシングルとして選択していました。
特に『さよならと言われて』は、作曲が松任谷由実の別名義呉田軽穂ということで、力が入っていただろうこともうかがえます。実は松本典子はこののち、6枚目のシングルとして中島みゆきの作詞作曲『儀式(セレモニー)』を歌っており、ユーミンと中島みゆき両方の作品をシングル曲として歌った稀有な存在でもあったのです。このほか前述のEPO、4枚目『虹色スキャンダル』では久保田利伸と、さまざまなミュージシャンの曲にチャレンジをしていたのですよね。楽曲もそれぞれいい楽曲でしたし、歌もそれほど下手というわけでもなくそこそここなしていましたし、露出もある程度あったので、もっと売れても良かったとは思うのですが…。
それはともかくとしても『さよならと言われて』はいい曲です。これが松本典子にとって最高順位となった曲であることは、ある意味納得の結果でもあります。歌詞はというと正統派の悲しい失恋ソングで、夏が終わりさよならの時を迎えた心境をとつとつと綴ったものになっています。私が相手を好きだと思うほどには、この相手は私のことを好きではなかったんだという、そんな寂しい気持ちがなんともせつかいですね。
《友達の前でだけやさしかったね》
《あの時私がふさいでたから ただ困ってなんとなく抱きしめただけなのね》
《もう二度とはだまされはしないと誓った》
《あなたが思うより ずっと本気だった》
…涙が出できそうです(:_;)
前二作が爽やかな王道のアイドルソングだっただけに、松本典子の新しい一面を見せることができ、ファンからすると、グッとくるところもあるのではないでしょうか。こんな可愛い女の子を泣かせるなんてひどい男だ、俺が守ってやる!…そう思わせたら勝ちということで、十分にアピールできる曲ではあったように思います。ただそれでもトップ10の壁はやぶることができなかったのですよね。松本典子には、他を押しのけてまで前へ出ていこうといったようなアピール力がやや欠けていたのかもしれません。印象としては性格のいい子というのは間違いなくあったのですが、私の武器はこれだ!といったものが何か足りなかったということでしょうか。それでもその性格ゆえに志村けんから可愛がられたのでしょうし、野球選手といい時期に結婚もしたわけで、悪いことばかりではなかったともいえるでしょう。ただ私自身応援していただけに、アイドルとして一度でもいい思いをしてほしかったなという感はありますね。