80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.212

 

シャドー・シティ  寺尾聰

作詞 有川正沙子

作曲 寺尾聰

編曲 井上鑑

発売 19808

 

 

 

寺尾聰の音楽活動のすべてが集約された1981年、『ルビーの指環』の注目に合わせて連れ高となった、半年前にリリースされたシングル

 

 19812月に発売された『ルビーの指環』はこの年の社会現象となるほどの大ヒットとなり、売上134.1万枚のミリオンセラーでレコード大賞受賞。寺尾聰フィーバーともいうべき状態になり、発売したアルバム『Reflections』はアルバムチャート年間1位を獲得。この『Reflections』は今でも名盤との誉れが高く、実際に佳曲揃い。ヒットしたシングル曲はもちろん、HABANA EXPRESS』『渚のカンパリ・ソーダ』なんかは私も大好きな曲です。しかも全曲を自らが作曲していていました。

 

 もともとグループサウンズのザ・サベージの一員として活躍していた寺尾聰でしたが、脱退後は俳優としての活躍がメインとなり、歌手としてスポットが当たることはあまりなかったのです。ところが1981年に突然変異的に歌手・寺尾聰がクローズアップされ、シングル、アルバム1曲がそれぞれミリオンセラー、レコード大賞に紅白初出場とお祭り状態に。しかも翌年以降はまた元の状態に戻ってしまい、以後本日に至るまで、音楽シーンの中心に戻ってくることは二度となかったのです。一発屋というのとも違いますし、とにかく寺尾聰のソロとしての音楽活動は、結果として1981年の1年にすべてが濃密に集約されたのです。

 

 実は今回取り上げる『シャドー・シティ』が発売されたのはその前年の19808月。『ルビーの指環』の発売日の半年前で、当初はまったく話題にもならなかったのです。ところが『ルビーの指環』が脚光を浴びることによって、198010月発売の『出航』とともにシングルチャートをぐんぐんと上昇していき、テレビのランキング番組では3曲同時チャートイン達成として話題にもなりました。実際にオリコンでは『シャドー・シティ』が最高3位、売上54.2万枚、『出航』が最高11位、売上30.7万枚と、なかなかの結果を残したのです。

 

 さてその『シャドー・シティ』ですが、この歌、まず歌詞が少ないです。その代わりに出だしから♪トゥットゥルトゥー と独特のハミング的な歌い方で、Aメロからサビまでの1コーラスを歌い切ることで時間を費やし、それがようやく終わって、ちゃんとした歌詞が始まっていくのです。ある意味冒険的、もっというと挑発的とさえいえそうな曲なのですが、これがまた寺尾聰のけだるそうな歌い方と、起伏の少ないメロディーと調和することで、都会の夜の倦怠感のようなものになって伝わってくるのですよね。知り尽くした都会の雨、Sexyな君の横顔、蒼ざめたシェイドの隙間、不意を衝かれてとめたグラス、無理な微笑み、そして君との最後の時間…当時の中学生してみれば、なんて大人な歌詞なのでしょうという感じで、その雰囲気だけでもかっこよく思えたものです。

 

おそらく『ルビーの指環』がなければ日の目を見ることがなかった曲でしょうし、逆に言えば他の曲でも、『シャドー・シティ』の代わりに同じ時期にリリースしていれば、同じように売れたことでしょう。ただそれでも『ルビーの指環』でスポットが当たった寺尾聰の音楽を補足する役割という意味では、『シャドー・シティ』は一番適していたのかもしれません。これが寺尾聰の音楽なんだと。50万枚を超えるセールスを残したということは、やはりそれだけの魅力がある曲であったことには間違いないでしょう。