80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.209

 

フィフティーン  西田ひかる

作詞 麻生圭子

作曲 林哲司

編曲 船山基紀

発売 19884

 

 

 

実は売れるまでに3年かかった健康的な爽やか帰国子女アイドルのデビュー曲は、アイドル定番の年齢入りタイトルで

 

 西田ひかるが実際に売れたのは1990年代になってからで、初めてオリコントップ10入りしたのはなんと11枚目のシングル『ときめいて』(19918)でした。この曲は最高7位と、結果的に西田ひかるのキャリアで唯一のトップ10入りを果たした曲となり、売上も14.9万枚をあげ、見事NHK紅白歌合戦出場を果たしたのです。実にデビューから3年と、アイドル歌手としては結構下積みが長かったのですね。その後、売上枚数では16枚目シングル『きっと愛がある』(19945)18.4万枚、17枚目『人生変えちゃう夏かもね』18.1万枚とさらに売上を残したシングルも発売し、その明るく健康的なキャラクターで人気者になったのでした。

 

 そんな西田ひかるのデビュー曲が、当時の年齢をそのまま英語のタイトルにした『フィフティーン』ででした。1970年代から80年代においては、自分の年齢をデビュー曲のタイトルに入れ込むというのは、アイドルのあるあるでして、主なところでは小泉今日子『私の16才』、南沙織17才』、あいざき進也『気になる17才』、シブがき隊『NAI NAI16、つちやかおり『恋と涙の17才』などがありますし、直接タイトルには使わなくても、歌詞の中で《伊代はまだ16だから》なんて折り込んだりというのもよくある手でした。デビュー曲以外まで入れたら、河合奈保子17才』、岩崎宏美『二十才前』、桜田淳子『十七の夏』、シブがき隊『ZIGZAGセブンティーン』等々、枚挙にいとまがないです。

 

 西田ひかるを売り出すにあたっての売りのひとつは、ロサンゼルス育ちの帰国子女ということで、あちらこちらでアピールしていた記憶はありますが、ただこの分野の先駆者として早見優が既にいたため、目新しさという点では薄かったのは否めません。しかもデビュー曲『フィフティーン』も前述のようにアイドルの定番中の定番ソングということで、他のライバルと比べても、インパクトには欠けていたといえるでしょう。作詞は当時アイドルに多くの歌を提供していた麻生圭子、作曲もヒットメイカー林哲司ということで、それなりに力は入っているものの、結果的には無難な路線での勝負となり、オリコン最高40位、売上1.0万枚と、パッとしない結果に終わったのです。

 

 歌詞の内容も、15歳の女の子の健康的な恋する気持ちを歌っているものになっていて、《南風》《芝生の上》《午後の太陽》《Fruity Love》と、このあたりのワードが、イコール西田ひかるのイメージに繋げるものだったように思います。ただ西田ひかるの場合、結局この時のイメージがぶれることなく、今にまで至っているというのは凄いことではあります。普通どこかで少女から大人へのイメージチェンジ的な時期を、ほとんどの人が迎えるのですが、なんか15歳の時のイメージのまま、年齢を重ねてきた感じはありますね。その辛抱強さが11枚目で花開いたわけで、その間に大学へ通い、女優業にも精を出し、いろいろな文化的な活動もあったり、そして結婚、出産と続くのです。『フィフティーン』はそんな西田ひかるのまさに原点だといえるでしょう。