80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.208

 

青山killer物語  ラ・ムー

作詞 売野雅勇

作曲 和泉常寛

編曲 新川博

発売 19892

 

 

 

アイドルからロックバンドに走っても菊池桃子はやっぱり菊池桃子、アイドルとしての終わりを告げるラストシングルは実は隠れた佳曲

 

 正統派アイドルとしてヒット曲を連発しながら、それに満足しきれず、違う方向へ行こうとする…形は違えど、どの時代にも「あるある」なのですが、この時期本田美奈子に続いて、菊池桃子もロックバンドのボーカル担当へと身を投じていったわけです。それが今回取り上げたラ・ムーでした。ただロックバンドとはいっても、菊池桃子はご存知のようにほんわかした雰囲気で、本田美奈子のような迫力ある歌唱は望めません。敢えてバンドを組んで音楽をすることに、いったい何の意味があるのか、菊池桃子の魅力をかえって損なってしまわないのか、ファンならずともそんな思いは確かにありました。そして結果として、それを明確に否定できる実績を残せたかと問われると、Yesと堂々と言えないところがつらいところです。

 

 菊池桃子としての最後のシングルは198710月発売の『ガラスの草原』で、オリコン最高4位、売上9.8万枚という結果であり、特に売上枚数は菊池桃子の12枚のシングルの中で、唯一10万枚に達しなかった作品となっていました。アイドルとしての人気が低下傾向にあったのは事実で、本人も周囲もそれを自覚していたことでしょう。このままではじり貧だから、それならば完全に落ちてしまう前に次の手を打とうと、目先を変える意味もあったのでしょう。ラ・ムーは、コーラスに外国人女性を従え、見た目のインパクトは確かにありました。その最初のシングル『愛は心の仕事です』はオリコン最高9位ながら、売上枚数10.1万枚ということで、『ガラスの草原』をわずかに超えたのです。そういう意味では、一時的にはまずまずうまくいったといえるのかもしれません。

 

 ただそれも長くは続かず、2枚目『少年は天使を殺す』が最高4位・5.4万枚、3枚目『TOKYO野蛮人』が最高8位・4.6万枚と、トップ10入りは維持していたものの、売上枚数は明確に低下していったのです。楽曲的には、敢えてそれまでの菊池桃子的なものから離れたものでというところがあったのかもしれません、正直に言ってあまりパッとしないそれでいて能天気な楽曲が3曲も続いてしまいました。そんな中、以前の菊池桃子的なエッセンスを少し戻して作られたのが4枚目『青山killer物語』といえるでしょう。

 

 この『青山killer物語』は切なげで哀愁を感じるメロディアスな曲調に、ラ・ムーとして培った(?)都会的な雰囲気が加わった、おしゃれ感はあるけれども抒情的な曲に仕上がっていました。ソロ時代の曲の中では『Broken Sunset』とか『ガラスの草原』に近い雰囲気を持っていて、能天気な前3曲よりは、よっぽど菊池桃子のイメージにも合致していたように思います。ラ・ムーの菊池桃子として、ようやく方向を見つけたような、そんな印象を私はこの曲で持つことができました。ラ・ムーとしてリリースしたシングルの中では、『青山killer物語』がダントツに好きです。歌詞についても、青山通りを背景に、ひとつの恋の終わりを描いた内容になっていて、大人のシンガー菊池桃子をアピールするには相応しい曲ではなかったでしょうか。

 

 ただ『青山killer物語』は売れませんでした。菊池桃子としては初めてシングルチャートのトップ10入りを逃す最高19位、売上2.1万枚と、過去最低のセールスに終わったのです。そしてそれは、アイドルとしての菊池桃子に終わりを明確にする非情な通告でもありました。