80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.207
のぞいてFeel Me,Touch Me The Good Bye
作詞 野村義男
作曲 曽我泰久
編曲 The Good Bye
発売 1986年12月
チャートの呪縛から離れたところで音楽を楽しんでいるように見えた、ヨッチャンバンドが挑んだ大人のラブソング
田原俊彦(トシちゃん)、近藤真彦(マッチ)と3人で「たのきんトリオ」とくくられて人気を呼んだ野村義男(ヨッちゃん)ですが、明らかに他の二人とは立ち位置が違っていました。ソロデビューをすればいきなりの大ヒット、出す曲出す曲シングルチャートの上位に進出し、主演映画も女子中高生に大人気を博したトシちゃん、マッチに比べると、なかなかレコードデビューを果たせないヨッちゃん。たのきん映画として出演しても、主演はトシちゃんかマッチのどちらか。たまたま同じドラマ「3年B組金八先生」に出演したばかりに、ジャニーズで括られてしまったヨッちゃんは、果たしてそれが幸だったのか、不幸だったのか…。
それでも他のメンバーと組んだバンドでようやくデビューしたのが1983年9月『気まぐれONW WAY BOY』。マッチのデビューから遅れること約3年。ただし二人のようにデビュー即大ヒットというわけにはいかず、シングルチャートのトップ10に入ったのは、このデビュー曲(最高9位)と、4枚目のシングル『You惑May惑』(1984年7月、最高10位)の2曲のみ。それでも彼らは実に楽しんで音楽をやっているように見え、それがシングル曲の数々からも十分に伝わってきました。2枚目のシングル『涙のティーンエイジ・ブルース』(1983年11月)からは作曲を、3枚目『モダンボーイ狂騒曲』からは作詞も(3枚目は共作)自分たちで行うなど、他のジャニーズタレントとは一線を画した活動を行っていました。ある意味、必ずチャートの上位へ食い込まないといけないという呪縛から離れたところにいた分、自由に楽しめるところがあったのかもしれません。
ですから彼の歌は遊び心に富んだ楽しい曲が多くて『You惑May惑』もそうですし、『にくめないのがニクイのサ』(1984年11月)、『とLOVEるジェネレーション』(1985年3月)、『気分モヤモヤサラサラチクチク』(1985年7月)と、タイトルからして楽しそうな曲を次から次へとリリースしていた時期もありました。ただそうはいってもいつまでもその路線を続けていくわけにはいかないでしょう、ということで10枚目シングル『僕色に染めて』(1986年10月)あたりから、大人っぽい路線へと舵をとりはじめ、そんな流れの中での11枚目シングルが『のぞいてFeel Me,Touch Me, The Good Bey』でした。そしてこの曲はそれまでThe Good Byeが見せたことのないような静かでしっとりした、どこか懐かしさを誘うナンバーに仕上がっていたのです。私自身、一回聴いてすっかり気に入ってしまい、レコードを買ってしまいましたよ。
作詞作曲はもちろん自分たち。ヨッちゃんの歌詞もよければ、ヤッチン(曽我泰久)のメロディーも素敵で、それまでコミカルな作品を多く聴いてきただけに、こんな曲も作れるのかと、すっかり見直してしまったものです。歌詞の内容は、別れてしまった昔の恋人が新しい恋人といる姿を偶然に見かけて、懐かしい「あの頃」を改装しながら、彼女のことを改めて思う、そんな内容でしょうか。私はこの歌詞の中の情景描写の部分が好きで、例えば冒頭の《街は薄ムラサキ 行きかう人 いそぎ足で通りすぎてく》ですとか、2コーラス目《どこか僕に似てたうしろ姿 他の誰かに肩を抱かれて》なんて、これまで♪ユー惑メー惑~とか♪にくめないのがニクイのさ なんて歌っていた彼らからすると、すっかり大人の雰囲気ではないですか?
でもね、この曲は売れませんでした。オリコン最高50位と、なんとかギリギリ左側にはいるのが精いっぱい(一定以上の年齢のチャート好きのかたには分かるのでは?)。ファンは大人のThe Good Byeを求めてはいなかったのでしょうか。いい曲なのに…。ついでにいうと、この次の12枚目のシングル『マージ―ビートで抱きしめたい』もまたいい曲なのですよね。こちらはオリコン33位でしたが、このあたりの彼らの音楽的センスが多くの人に届かなかったのは、とても残念に思います。